「監督のため」結束した侍 左手首痛の中田は強行出場
「小久保ジャパン戦いの軌跡【1】」
世界一奪回を目指した戦いが終わった。投打の柱に期待していた大谷が故障の影響で大会前に離脱し、メジャー組の参戦は青木1人というチーム編成だった。1次、2次リーグを6連勝で突破したが、米国の壁に阻まれた。小久保監督率いる侍ジャパンはいかに戦ったのか、デイリースポーツWBC取材班が迫る。
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試合後のミックスゾーン。目を真っ赤にして歩く選手の姿があった。「監督を喜ばせたかった」。1人、2人ではなく、多くの選手が口にした。高校野球に似た試合後の雰囲気。13年10月、常設化された日本代表監督に小久保監督が就任。「結束」が合言葉だった。
細かな入れ替えはあったが第3回大会終了後、小久保監督はほぼ主力を固定して戦った。青木は日本の強さを聞かれ、「監督が選手を信頼したこと」と即答。下半身の不安で嶋が大会直前で離脱した。回復が見られない中で最後まで、判断を遅らせたのが指揮官だった。
全力プレーができなくても、ともに戦ってきた仲間は戦力だった。だからこそ、嶋は代表辞退の際にチームメートの前で「申し訳ない」と号泣。仲間に託した思い。その思いを感じればこそチームメートは「37」のユニホームをベンチに掲げ、その後の「結束」を生んだ。
小久保監督は主要大会の前後には各選手に、自ら連絡を取って気持ちを伝えた。中田は言う。「相当な覚悟を感じる。だからこそ勝ちたい、喜ばせたい」。スタッフも含めて関係者の誕生日には、ミーティングで真っ先に祝いの言葉を贈った。決起集会では各テーブルに足を運び、酒をついで回った。それを選手は肌で感じていた。
中田は左手首に痛みを抱えていた。チーム内では辞退する話し合いもあった。だが「小久保さんだから」と強行出場。「中島に翔平(大谷)、オレまで辞退したら代表に申し訳ない。ハムから今後、選びにくいなとなるかもしれない。それはダメだと思った」。指揮官の考え、犠牲心は浸透し、今後の野球界に有形無形の効果を生むだろう。
メジャーリーガーが続々と辞退する中、一丸野球で確かな足跡を残した。野球ファンの心を打った。体格や身体能力で劣る日本の活路は、その輪をより強めていくことだろう。