上田利治氏死す 阪急3年連続日本一の名将…“伝説”の1時間19分の猛抗議
日本ハムは2日、名将で知られる元監督の上田利治(うえだ・としはる)氏が1日午前2時55分、肺炎のため川崎市内の病院で死去したと発表した。80歳。徳島県出身。葬儀・告別式は6日午前10時から横浜市青葉区美しが丘2の21の4、公益社会館たまプラーザで。喪主は妻勝子(かつこ)さん。
上田氏は関大時代、捕手として元阪神の故村山実氏とバッテリーを組んで黄金時代を築いた。1959年に広島入団。目立った実績はなく3年間で引退したが、指導者として才能を発揮した。
62年から広島、阪急(現オリックス)のコーチを歴任し、74年に阪急監督に就任。優れた統率力で阪急を常勝チームに変え、75年から3年連続で日本シリーズ制覇に導いた。
78年のヤクルトとの日本シリーズ第7戦で本塁打の判定を巡り、1時間19分抗議した。その責任を取って辞任したが、81年に復帰して阪急、オリックスで10年間指揮を執った。95年から5年間は日本ハムの監督を務め、退任後は本紙評論家として健筆を振るった。
監督通算20年間の成績は1322勝1136敗116分け。最下位経験は一度もなく、阪急時代にリーグ優勝が5度、日本一は3度。監督時代には「ええで、ええで」と選手を褒めることでも有名だった。2003年に野球殿堂入りを果たした。