亡き恩師・元阪神の安達智次郎さんと同じ舞台で 日本航空石川・山上捕手
「全国高校野球選手権・2回戦、花咲徳栄9-3日本航空石川」(16日、甲子園球場)
安達監督、ここは本当に特別な場所でした-。九回2死から三ゴロを打った日本航空石川・山上祐大捕手(3年)は、迷うことなく頭から一塁に滑り込んだ。「決めていたわけじゃないが、甲子園といえばヘッドスライディングだと」。何かに導かれるように泥まみれになった最終打者は「やり切ったので悔いはない」と誇らしげに聖地を去った。
中学3年間は神戸美蹴館ロケッツで白球を追った。監督は元阪神ドラフト1位投手の安達智次郎さん。91年夏、92年春の甲子園でも活躍した左腕は、技術指導はもちろん投手目線の考え方を教えてくれた。「投手は神経質。細かい変化に気づいたら教えてあげて」「しっかり褒めてあげた方がいい」。高校で不動の女房役を勝ち取った山上は「安達監督がいなかったら今の自分はない」と感謝する。
別れは突然だった。高校1年の冬。安達さんが肝不全のため41歳で死去。山上は悲しみに暮れた。自室に恩師の写真記事を貼り、形見のジャージーは今も着ている。忘れられない言葉もある。「甲子園は自分の目で確かめてこい」。プロ時代の話はよく聞かせてくれたが、聖地のことは教えてくれなかった。
だから確かめるために必死に汗を流してきた。安達さんの教え子で初めて踏んだ甲子園の土。「監督もマウンドに立っていた一緒の舞台に立てて、本当に特別な思い出になった」。かつて恩師も見ていた光景を胸に焼き付けた。