中村“6冠”も広陵準V「悔しさプロで晴らす」 育ててくれた母には「最高の恩返し」
「全国高校野球選手権大会・決勝、花咲徳栄14-4広陵」(23日、甲子園球場)
人目もはばからず号泣した。広陵の中村奨成捕手(3年)は5打数3安打と奮起したが、4-14と大敗を喫し、準優勝。悲願達成とはならなかった。それでも本塁打記録更新など圧倒的な存在感を発揮し、今大会の主役であったことは間違いない。決勝では本塁打こそなかったが、安打と二塁打で1大会個人最多記録に並んだ。甲子園にその名を刻んだ怪物は、次はプロの舞台で新たな伝説を作る。
マウンドで歓喜に沸く花咲徳栄ナイン。その姿が目に入ると、両手を膝についた中村の目に涙があふれた。あと一歩手が届かなかった深紅の優勝旗。「悔しいですが、最高の仲間とここまでこられたのは幸せ。一生の宝になった」。3年間苦楽を共にした主将・岩本の肩で、思いっきり泣いた。
最後に敗れはしたが、記憶にも記録にも残る大活躍だ。歴代の球児が破れなかった壁をいくつも突破した新怪物。準決勝では1大会個人本塁打の新記録となる6号を放ち、1大会個人最多打点と同塁打の記録も塗り替えた。
決勝でも超高校級の打撃を見せつけた。一回に左翼線へ二塁打を放つと、五回は強烈な三塁への内野安打。そして九回1死一塁で迎えた5打席目。「3年間の集大成」と思いを込めた一振りは、左翼線へ痛烈な二塁打となった。この一打で、19本の1大会個人最多安打と、6本の同二塁打の記録に並んだ。
数々の最多記録に「中村奨成」の名前を刻んだ。「まだまだ満足していない。優勝してみんなと喜びたかったんですけど…」。日本一を逃した現実はつらいが、今大会が中村を中心に回っていた事実は間違いない。
野球を始めたきっかけは、大野東小学校に入学した頃に学校で配られた1枚のチラシからだった。そこには地元の少年野球チーム「大野友星団員募集」の文字が。「面白そう。行ってみたい」。ここから野球漬けの毎日がスタートした。
練習相手を務めてくれたのは女手ひとつで育ててくれた母・啓子さん(44)。小学生の時には家の前でキャッチボールをし、中学の時にはバドミントンの羽根を投げてもらって打ち返した。「日本一にはなれなかったけど、最高の恩返しができたと思う。ありがとうと伝えたいです」と感謝の言葉を口にした。
「夢をしっかり持って成功できるように」-。そう願い付けられた「奨成」の名は全国に知れ渡った。「この悔しさを糧にしてプロの舞台で晴らしたい」。日本一の夢は後輩に託し、新たな目標に向けて歩きだす。