大谷の父・徹さん、夢舞台を心待ち 「早い時期に行けば…」
日本ハムの大谷翔平投手(23)が自身の背番号「11」が並んだ11月11日午前11時、都内の日本記者クラブで会見を行い、メジャー挑戦を正式に表明した。父・徹さん(55)は岩手・花巻東3年時に米大リーグ希望を表明しながら一転、日本で過ごした5年間を感慨深く振り返り「本心で言うと日本でやってくれたことで試合が見られたし良かった」と日本を代表する選手にまで成長した息子の姿に目を細めた。
徹さんは社会人野球の選手だった。小3から本格的に野球を始めた大谷に対する指導方針は伸び伸び。だが、一つだけ厳しく禁じたことがある。どんなに不調でもグラブやバットを投げないこと。「悔しい気持ちは分かる。でも、それをやったってチーム内にいい影響を与えない」と説いた。その約束は今も守られている。
「翔平」の「翔」の字は、羽ばたくというイメージに好感を抱いていたために付けたのだという。「早い時期に行けば、マイナーだろうとプレーできる。本人のためにもいい。そこで自分のパフォーマンスを発揮してやってみたいのでは」と代弁。球場で観戦する機会は今よりも減る寂しさはあるが、高校時代からの夢をかなえる日を心待ちにしている。