ヤクルト・徳山 余裕なかった現役時代 球団広報部員として恩返し

 【第2の人生へプレーボール】

 今オフも多くの選手が所属チームを退団した。新天地に働き場所を求める者、引退して指導者として歩み出す者がいれば、ユニホームを脱いで新たな世界に挑戦する者もいる。彼らの第2の人生にエールを込めて、スポットを当てる。ヤクルト・徳山武陽投手(28)の進路は…。

  ◇   ◇

 今まで握っていた白球を受話器やペンに替え、必死に仕事を覚える日々。「今はこれが通勤ラッシュなんだと思う毎日」と電車通勤さえ新鮮に感じる。ユニホームを脱いで約2カ月。スーツ姿も様になってきた。

 10月3日に戦力外を通告され、約1週間後に球団職員の打診を受けた。既に引退を決断していたため、周囲の後押しも受けて転身を決意。「現役の頃は裏方さんのことを考える余裕がなかった。こんなにやってくれてたんだって今すごく思う」。毎日新しい発見ばかりだ。

 昨年11月に国指定の難病・黄色靱帯(じんたい)骨化症の手術を受けた。私生活では問題ないというが、下半身には常にしびれがある。今でも段差がない場所でつまずくことが何度かあるという。「(病気を)宣告された時は人生で一番へこんだ」。それでも復帰に向けて、懸命にリハビリに励んだ。

 どん底を味わったからこそ、野球ができる喜びを人一倍感じられた。「病気明けはキャッチボールってこんなに楽しかったんだって」。復帰初戦、4月30日のイースタン・DeNA戦では球速133キロを計測。それでも物足りなさなど感じなかった。「投げられたことが一番。投げられることに感謝できるようになった」。順調な回復の先に驚きの結果が訪れた。

 プロ最終登板。9月29日のイースタン・日本ハム戦(鎌ケ谷)でプロ初完封を飾った。来季へ望みをつないだと同時に感じるものもあった。「リハビリ後に状態は80%に戻った。ただ、100%には戻らなかった」。そんな時に受けた非情宣告。左足のしびれ、病気と向き合いながら戦い続けることへの限界を感じた。

 「この1年、野球をやってきて良かった。集大成です」。不思議な締めくくりで終えた野球人生。来年1月には球団広報部に配属される。今後の目標は「同じように汗水流してやってきた仲間のためにも、僕だから出せる色を出したい」。野球で受けた恩恵を、野球を通して返していく。

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