ノムさん「俺以外の監督なら…」、伊藤智仁氏に酷使を謝罪

 野球評論家の野村克也氏が3日放送のTBS系特番「消えた天才 一流アスリートが勝てなかった人大追跡」で、自身がヤクルトの監督を務めていた際に「俺が潰した」と悔やむ、伊藤智仁氏に謝罪した。これに、伊藤氏は「何とも思っていないです」と笑顔を見せた。

 92年のドラフト会議で松井秀喜を推すスカウト陣を押し切ってまで当時の野村監督が指名したのが伊藤氏だった。150キロ台の快速球と、鋭く曲がる高速スライダーを武器にルーキーイヤーの93年から活躍。開幕から2カ月半で7勝2敗、防御率0・91という好成績を挙げた。しかし、同年7月4日の巨人戦で右肘を負傷。このシーズンは前半戦のみの出場にとどまり、ここから苦闘が始まった。

 一軍登板は2年なく、復帰したのは96年後半だった。97年にはクローザーとしても登板しカムバック賞を受賞。98年には規定投球回数もクリアするが、01年には右肘、肩痛を再発。03年の二軍戦を最後に引退した。番組内では右肩から先の血行障害で命を落とす危険性まであると宣告されたことも明かした。

 90年から98年までヤクルトを指揮した野村氏は「ヒジを壊してなければもっと活躍していたと思う。俺が潰した」と酷使したことへの後悔が残っているといい、伊藤氏に直接謝罪することになった。

 18年からBCリーグの富山で監督を務める伊藤氏に「責任は俺かなとすごく思っていた。すごい申し訳ないと。それだけは謝りたい。間違いなくね。俺以外の監督の下なら記録は絶対に残しているよ。俺が邪魔したみたいだ。申し訳ない」と謝罪すると、伊藤氏は「僕は自分の責任だと思っていますし、そういう風に特に思ってほしくないです」と言い切った。

 続けて「ピッチャーは先発したら完投するのが当たり前の時代で、何球投げようが関係ないです。最後まで投げるのが使命だと思うんですよね。何とも思ってませんから。監督」と語りかけていた。

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