星野氏、ドラフトで裏切られ“打倒巨人”に燃え歴代6位タイの通算35勝

 殿堂入りを祝う会であいさつする星野仙一氏(2017年11月28日)
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 中日、阪神、楽天で監督を務めた星野仙一球団副会長が4日午前5時25分に膵臓(すいぞう)癌のため亡くなったことが6日、明らかになった。

 闘将として3球団で4度のリーグ優勝、1度の日本一に導いた星野氏は現役時代、中日のエースとして通算146勝を挙げた。中でも“打倒巨人”に闘志を燃やし、巨人から歴代6位タイの通算35勝を挙げた。

 “打倒巨人”の発端は、1968年度ドラフト会議だ。明大のエースは、巨人のスカウトから「田淵がとれなかったら星野君を1位に」と口約束をもらっていた。このドラフトでは、東京六大学野球のスター田淵幸一(法大)に注目が集まった。田淵が阪神に指名され巨人は、1位で島野修(武相)を指名。巨人からの指名を待っていた星野氏は「“星”と“島”の間違いじゃないか」と怒りをあらわにしたという。

 68年度のドラフトは、田淵をはじめ“法大三羽がらす”ミスター赤ヘル・山本浩二(広島)、富田勝(南海)やミスターロッテの有藤道世(ロッテ)、サブマリン・山田久志、世界の盗塁王・福本豊、加藤秀司(いずれも阪急)ら、のちに球界を代表する選手を輩出した。

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