さよなら仙さん 03年阪神優勝…虎を変えた名将、天国へ
楽天・星野仙一球団副会長が、4日午前5時25分に膵臓(すいぞう)がんで死去していたことが6日、球団から発表された。70歳だった。現役時代に中日のエースとして活躍した星野副会長は、引退後は中日、阪神、楽天の3球団で監督を務め、4度のリーグ優勝、2013年には楽天を日本一に導いた。6日に近親者のみで密葬が行われ、後日、お別れの会が予定されている。阪神・金本知憲監督(49)はこの日、兵庫県西宮市内の球団事務所内で会見し、恩人への思いを語った。
闘将が、この世を去った-。球団によると、星野氏は一昨年7月に急性膵炎を発症したのを機に、膵臓がんであることが判明。その後、闘病中であることを周囲にひた隠しにしながら、春秋のキャンプには姿を見せ、シーズン中も月に1度は球場に足を運び楽天戦を視察するなど、精力的に動いた。1カ月前にも元気な姿を見せていた。
昨年1月に野球殿堂入りを果たし、同11月28日に東京で、12月1日には大阪で「祝う会」が盛大に行われた。星野氏は張りのある声で「アマとプロひとつになって、子どもたちにいかに野球をやらせるか考えていきたい。野球にもっともっと恋をしたい」と、野球界の発展に尽力する夢を語っていたばかりだった。
しかし、昨年末に病状が悪化。息を引き取る直前まで「コーチ会議に出られるかな」と、今月18日に予定されている同会議への出席に意欲を見せていたが、かなわぬまま、帰らぬ人となった。球団は「最期は昼寝でもしているような安らかな表情で、ご家族にみとられて旅立たれました」と説明した。
闘志むき出しのスタイルで、代名詞は「燃える男」「闘将」。現役時代は、中日のエースとして通算146勝を挙げた。「打倒巨人」に執念を燃やし、74年には巨人のV10を阻み沢村賞を獲得。巨人戦での白星は歴代6位タイの通算35勝をマークした。
監督となっても強いリーダーシップを発揮し、通算1181勝を刻んだ。中日で2度のリーグ優勝。01年オフ、低迷していた阪神の監督に就任すると、チームを大改革。03年には18年ぶりのリーグ優勝へと導いた。11年からは楽天の指揮を執り、13年には球団創設9年目で初の日本一。自身にとっても悲願の日本シリーズ制覇を果たした。3球団を優勝に導いたのは、プロ野球史上3人目の偉業だ。
故人の強い遺志により、葬儀は密葬で執り行われ、後日、お別れの会が行われる予定。突然の訃報となったことに、球団は「人前では常に強気を貫いた『星野仙一』のスタイルを最期まで全うしようとしたことですので、何とぞご容赦ください」と代弁した。