前ロッテ田中英「『京大クン』は結果を残せば変わるだろうと」
【第2の人生へプレーボール】
史上初の京大出身プロ野球選手として注目を集めた前ロッテ・田中英祐投手(25)は、わずか3年の現役生活でユニホームを脱いだ。野球人生にも区切りを付け、今春からプロ入り時に一度は内定を辞退した三井物産に入社する。思うような活躍ができなかった秀才右腕の苦悩と決断を特別編2回で連載する。
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田中にとっては、3年間を振り返ると同時に自身への“ご褒美”だったのかもしれない。イタリア、オーストリア、チェコ、そしてドイツ。昨年12月上旬から下旬にかけて、ヨーロッパを旅行した。
初めての海外旅行だったが、決めていたことがあった。それは全部、自分の力でやり通すことだ。
「航空券の手配から現地での宿泊や移動、それぞれの場所でやりたいこと…全て自分で手配して、無事帰国できたことに大きな意味を感じました」
日本とは全く違う異文化に触れた。何もかもが新鮮だった。
「建築物、宗教観、日常生活などで日本との違いを感じて、毎日が刺激にあふれる旅行でした」
刺激にあふれる-。あの時もそうだった。14年12月11日、ドラフト2位でのロッテ入団会見。140キロ台後半の速球と切れ味鋭いスライダーを武器に「プロ野球選手として活躍できるように頑張る」と決意を表明したが、田中にはある“肩書”が付いて回った。
プロ野球史上初の京都大学出身。それも理系の工学部卒だ。日本人は高学歴者に強い関心を持つ。一般社会はもちろん、それがプロ野球入りとなれば、なおさらである。
“京大クン”フィーバー。テレビ、新聞などのメディアには「田中」よりも「京大クン」の大文字が躍る。話題先行の典型である。だが、田中は「プロ野球選手である以上、大きく取り上げていただけることは本当にありがたいことだと思っていました」と話し、さらにこう続けた。
「『京大クン』という表記に関しては、自分が結果を残せば変わるだろうという思いではいました」
プロ3年間(1軍)で残した足跡は2試合に登板して0勝1敗、防御率13・50。昨年10月3日、ついに球団から来るべきものが来た。