日大山形・西島、星野仙一さんの教えがあって全力でできた
「選抜高校野球・2回戦、智弁学園5-3日大山形」(25日、甲子園球場)
偉大な恩人も立っていた聖地での敗戦に悔いはない。1月に70歳で死去した星野仙一氏が生前、支援していた12歳以下日本代表でプレーした経験を持つ日大山形・西島好亮内野手(2年)の表情がすがすがしい。「星野さんの教えがあって全力でできた試合だった」。闘将が阪神監督時代などで闘っていた甲子園でのプレーに後悔はない。
1人で黙とうをささげた。「(訃報は)お父さんからの電話で知りました。残念です…」。登校前にまぶたを閉じて心の中で生前に受けた感謝の言葉を贈った。
初めて間近で対面した日は克明に覚えている。米国で行われた「カル・リプケン12歳以下世界少年野球大会」に出場した翌年。13歳の時に仙台市内のホテルで星野氏にあいさつする機会に恵まれた。
「当時、自分はピッチャーで『ピッチャーはいいぞ』と言われました」。生涯、忘れることのない思い出だ。
自然と目が合った。12歳以下日本代表でチームメートだった智弁学園の1番・坂下が一回裏に右翼への二塁打を放った時だ。
「坂下がこっちを見てきたんです。『おまえも打てよ』ということだったのかも」。自身もライバルと同じ2安打。星野氏がつないでくれた仲間と立った大舞台。「成長した姿を見せられなかったのは残念」。それでも、必ず天国で褒めてくれている。