ミスターの本塁打記録に迫るキヌさんから受けた「一喝」
プロ野球広島で活躍し、2215試合連続出場で「鉄人」と呼ばれた衣笠祥雄氏が23日、上行結腸がんのため亡くなった。71歳だった。デイリースポーツで1985~86年に広島担当を務めた中四国統括兼中国本部長・宮田匡二が衣笠氏を悼んだ。
◇ ◇
あれは三篠(広島市西区)にあったカープの寮の食堂でのことだった。
練習後、キヌさんは滔々(とうとう)と自らの野球観を語った。最初に「君は全然分かってない」と私に向かって一撃を浴びせた後に「オレが尊敬するのは山内さん。長嶋さんの記録なんて気にとめたこともない」と畳みかけてきた。
その日、私は長嶋茂雄さんの通算本塁打記録444本に9本を残して開幕を迎える衣笠祥雄を取材したくて、練習が終わるのを待った。そしてテーブルにつくなり切り出した。その答えが「一喝」だった。
キヌさんはチームのOBでもある大打者山内一弘氏を敬愛していた。いわゆる山内流の信者だった。「とにかく遠くへ飛ばしたい」男と内角打ちの名人。好対照の2人だったが、眼中にあるのは目前に迫っていた山内氏の通算安打と打点の数字だと、この時初めて知った。
若造の私は自分を恥じるしかなかったが、キヌさんは「知らない」より「聞くこと」の大事さを伝えようとしていたように思う。やけに長い取材時間にそれを感じた。
カープの松田元(はじめ)オーナーは代行時代、衣笠氏を「遠くの一点を見つめて、そこへ向かって行く人」という表現で努力を重ねる衣笠氏を称えた。
ヤンチャだった氏をたしなめ、指導したスカウトの木庭さん。師匠の山内さん。そしてキヌさん自身までも-。
少し早いんじゃないですか。
連続試合出場2215の刻印が入った黒褐色のバットは、いただいたままの状態で家に眠っている。使えませんよね。