前パナソニック吉川インタビュー【1】メジャー挑戦判明後初激白…規定違反を謝罪
大リーグ・ダイヤモンドバックスとマイナー契約を結んだ吉川峻平投手(23)=前パナソニック=が18日、米球界挑戦が判明後、初めてインタビューに応じた。日本野球連盟の規定違反を謝罪し、米球界で社会人野球に恩返しする活躍を約束した。近日中に渡米してメディカルチェックを受けた後、今月末から日本の秋季キャンプに相当する教育リーグに参加することも明かした。
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-インタビューに応じた理由は。
「今回、問題を起こしたことで、いつか僕の口から話さないといけないと思っていました。自分のことで日本野球連盟やチームを含めた野球界、また社会人野球を応援してくれる方たちに迷惑を掛けてしまいました。本当に申し訳なく思っています」
-8月23日に社会人日本代表を辞退後、9月5日に退社するまではどう過ごしたのか。
「活動を自粛していました。その間はパナソニックのグラウンドは使えませんし、母校へ行くと迷惑を掛けるかもしれないので、身動きが取れませんでした。2週間ぐらい全く野球に関わらず、全く体も動かさないというのは初めてで…」
(続けて)
「でも、自分が原因だし、処分は除名以外はないと思っていたので、そこは大丈夫でした。それよりも、処分は自分だけで済んで欲しいと思っていました。チームにどれだけ迷惑が掛かるのかということが心配で…」
-日本野球連盟と話をする機会はあったのか。
「理事長らとお会いしました。代表辞退後です。東京で2度目にお会いした時、処分前の事実確認をしました。その後の雑談の中で『来年もちゃんと野球はできるから頑張ってくれ』という言葉をいただきました。『チームが日本選手権に出られないこともない』とも言っていただいた。ありがたかったし、チームにペナルティーがないということを直接聞けて安心しました」
-大きく飛躍させてくれた社会人野球への思いは。
「僕が規定違反をしてしまったことで、社会人野球のブランドが下がらないで欲しいという思いがあります。言葉は悪いですが、社会人野球はアマ野球界では一番レベルが高いけど、一番ローカルだと思うんです。でも、1球で負けてシーズンが終わる厳しさがある。シーズンを戦うプロとは違った野球の面白さを知ってもらいたいですね。そのためにも僕がアメリカで活躍して、社会人野球が注目をしてもらえるようになればと思っています」
-メジャーに憧れたきっかけは。
「関大4年の16年です。(同年夏の)日米大学野球に出る前、春のリーグ戦の京大戦で、4回3失点で降板してしまいました。それなりの責任感は持ち合わせていたけど、練習も淡々と普通にしていたので、このままではダメだ、と。そこから何かを変えるためにインターネットでプロの動画を見始めました」
-どのような動画を見たのか。
「日本のプロの動画はハイライトが多くて。でも、メジャーは1試合の動画が見られた。最初は参考にしようとして見ていたのが、見ているうちに関係ない打者を覚えたり、プレースタイル、球場の雰囲気とかも感じたりして。それが、どんどん『ここでやってみたい』という思いに変わっていました」
(続けて)
「その頃に日米大学野球にも参加させていただいて、最終的にアメリカで野球人生を終えられたらいいな、という夢を描くようになっていました」
-最初は日本のプロ野球を経て、メジャーへ行きたいという考えだったのか。
「はい。絶対に日本のプロへ行って成功して、アメリカへ行きたいという夢がありました」
-日本なら今秋、ドラフト1位で指名される可能性があった。米国に行けば25歳未満の外国人選手はマイナー契約となる。厳しい環境を選んだ理由は。
「『日本のプロでやって、アメリカで終わる』というのをベースに考えていました。でも、若い段階で行けるならベストだとも思っていました。ダイヤモンドバックスと本格的な話になって、日本からメジャーに行った選手を調べたのですが、高卒でプロに入って、海外FA権を取れれば20代後半で行ける。でも、僕がFA権を取るには、どれだけ順調にいっても30歳は超える。僕としては日本とアメリカなら、アメリカで長くやりたいという思いがありましたし、自分がピークの時にアメリカで野球をしたいという思いも強くて」
(続けて)
「日本で実績を残して、即メジャー契約する方が安定すると思います。でも、未熟で伸びしろがあるうちにアメリカへ行って成長して、アメリカでピークを迎えて終わりたいな、という思いが強くなっていきました」(【2】に続く)