福浦2000安打 千葉で達成「幸せ」 42歳9カ月、史上2番目年長記録
「ロッテ3-5西武」(ZOZOマリンスタジアム)
ロッテの福浦和也内野手(42)がZOZOマリンスタジアムで行われた西武(24)戦の八回に右越え二塁打を放ち、史上52人目の通算2000安打を達成した。42歳9カ月での到達は、42歳11カ月で達成した中日・和田一浩に次ぐ史上2番目の年長記録となった。
42歳の福浦が大輪の花を咲かせた。八回だった。左腕・小川の2-2からのスライダーを振り切った。右越えの二塁打。珍しく塁上で両拳を前に突き出し、笑顔でガッツポーズを取った。
「最初のヒットがマリンだったし、千葉で生まれてZOZOで達成できた。幸せなことです」。初安打は4年目の97年7月5日の千葉マリンスタジアムでのオリックス戦だった。
千葉・習志野高では左腕エース兼4番打者で鳴らした。だが、エリートではない。ドラフト7位での入団だ。1年目の94年夏。18歳の福浦は醍醐2軍監督から打者転向を打診された。「早かったからね…ショックだった」と振り返る。
醍醐監督の意を受けた山本功児2軍打撃コーチが強く打者転向を勧めた。プロで生き抜くために転向を選び、同コーチの指導を受けてガムシャラにバットを振った。「今のボクがあるのは山本さんのおかげです。言葉には言い表せない」と感謝する。
土台を構築して1軍に定着したが、打撃の試行錯誤を常に重ね続けた。「いかにして力を抜くかです」という境地に達し、01年には自身初となる首位打者のタイトルを獲得した。
ファンの声援が支えだった。プロ1年目の挫折、打撃面の成長と苦悩、母、恩人・山本コーチの死、そして逆らえぬ年齢との闘い…。ファンは四半世紀に及ぶ福浦の生きざまに自らの人生を重ねる。『俺たちの福浦』。この言葉がすべてを物語る。同期入団の西武・松井から受け取ったお祝いの花は、25年に及ぶ汗と努力の匂いがした。