西武・秋山「強いライオンズ」伝統取り戻せた 最強リードオフマン特別手記
リーグ優勝を達成した西武の秋山翔吾外野手(30)が万感の思いを込めた手記を寄せた。優勝に手が届くまでの苦しみと喜び、継続するフルイニング出場のこだわりと葛藤、名前にも秘められたメジャーリーグへの思いなど胸の内をさらけ出した。
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心から優勝したいと思っていた。マジックがついて、いくら減っても、決まるまではずっと緊張感が続いた。ライオンズは強いチームという伝統がある。自分たちもやっとここまで来ることができた。
2011年に入団してから、ここまでの優勝争いをしたことがなかった。マジック4からソフトバンクにひっくり返された話も聞いている。だから2位ソフトバンクとのゲーム差なんて関係なかった。優勝を勝ち取らないと意味がなかった。
手応えがあったのは交流戦くらいかな。開幕8連勝で始まり、4月は負ける怖さを知らなかった。出来過ぎでしょう。勢いだけで、本当の力で勝っていたわけではないと感じていた。5月に入って研究され、疲労もあり、若手が軒並み成績を落とした。個人成績が目に見えて落ちるのもしんどかったはず。彼らがその数字を受け入れ、交流戦で勝ち越して、苦しみを乗り越えた気がした。
個人的にしんどかったのは7月末から8月の最初。状態が上がらず、フルイニング出場も続いていた。記録のためにやっているわけではないけど「外してくださいと言うべきかな…」と悩んだこともあった。でも、点差がついて最後の1イニングだけ休んだとして、次の日にすっきり試合に入れるか疑問だった。
シーズンを振り返ったとき、1年終わって最初から最後まで出ていたのと、どこかで1打席でも抜けていたら、重みが違うと思うかもしれない。最多安打というタイトルも、誰よりも打席に立っている以上、当然取るという思いがある。
チームは終盤の逆転勝ちが多かった。何年か前までは、サヨナラの場面になると「誰かホームラン打ってくれ」「よし、おれがホームラン打ってやるぞ」という空気がすごかった。でも、それは難しい。走者が1人出て、バントで送って、四球でつないでという攻め方は相手も嫌だと思う。そういうプレッシャーのかけ方が今年はできた。
試合中に感情がこみ上げてきたことも何度かあった。センターの守備位置は最後方から全員が見える。例えば自分は凡退したのに、すごい攻撃で勝ち越した後。「みんなすげぇよ。頼もしいわ」って。目の下に人さし指を置いたら、うっすらぬれているような…。
シーズンは最後まで1位で走り抜けたけど、途中で首位から落ちていたら、ダダッと離されていたと思う。あんなに勝っていたのに、追い越されたら気持ちが切れてしまうなと。僕らは追う苦しみを味わっていない。今は連覇なんて想像もできないけど、もし来年は抜きつ抜かれつで戦い、詰めた、ひっくり返したを経験したら、もっと強いチームになるはずだ。
優勝も味わい、選手としてのキャリアも積んできた。自分の中では、将来的なメジャーリーグへの挑戦に興味が湧いている。翔吾という名前は小学6年生のときに亡くなった父(肇さん)の「吾(われ)は翔(はばたく)」という思いがあって、その中に「世界にはばたけ」という願いも込められている、と父が亡くなった後に聞いた。
中学生になる前、父の勧めで英会話教室に通った時期があった。おぼろげに「メジャーに行くかもしれないからな」なんて言われた気もするんだよなあ…。もちろん、それは先の話。今はクライマックスシリーズ、日本シリーズを勝ち抜き、日本一になるために全力を尽くすことしか考えていない。(西武ライオンズ外野手)