松井秀喜氏が衝撃を受けた星稜元エース「大きな存在だった」
巨人やヤンキースで活躍した松井秀喜氏が、3日放送のTBS系「消えた天才」に出演。現役時代に「打てなかった投手」として、星稜時代のチームメートでエースの山口哲治氏の名前を挙げた。
松井氏は中学時代に山口氏と対戦。左腕からコーナーいっぱいに投げ分けてくるキレのある直球、カーブに翻弄(ほんろう)され、3打数無安打に封じ込まれた。松井氏は「飛び抜けていた才能。あそこまでいいピッチャーは対戦したことがない」と証言した。
高校時代はチームメートとなった両者。中学時代はエースとしても活躍していたという松井氏だったが、高校の野球部入部初日に投手のポジションから外れたという。「彼(山口)がいたからお前は必要ないということだったと思う。ピッチャーならピッチャーの練習しないといけない。打者一本に早い時点でさせてくれたという意味では、大きな存在だった」と振り返った。
山口氏は松井氏とともに甲子園で活躍。投打の柱として注目を集めた。高3夏の甲子園後、2人はともにプロ志望を表明。だが、松井氏がドラフト1位で巨人に入団したのに対し、山口氏は指名漏れでプロの道に進めなかった。
「プロ表明して指名されない。こんなに恥ずかしい、屈辱的なことはなかった。すべてが終わったみたいな感じだった」。失意の左腕は社会人野球の道に進んだが、肩の故障にも苦しみ、26歳で引退した。
「ボロボロ。ずっと泣いていた」という山口氏を救ったのは、松井氏の言葉だったという。野球を引退した26歳で行われた山口氏の結婚式。スピーチを任された松井氏は「哲治くんがいたから今の僕がある」と感謝の思いとともに、特別な存在だったことを伝えられたという。
「かなり救われました。社会人でうまくいってなかったので、会社からは『全然だった』と思われるかもしれないが、松井がスピーチしてくれて最大限の労いの言葉だった」
現在、山口氏は神戸製鋼に勤務。3児の父で、全員が野球をしているという。少年野球チームの監督も務める山口氏は「自分が育てた子がプロ野球選手になって、今度は松井と関われるような、共通の選手が出て来たら幸せですね」と夢を語っていた。