大阪桐蔭・西谷監督が語る 中日ドラ1根尾昂「どんなところでもぶれない」
大阪桐蔭は昨年、史上初となる2度目の甲子園春夏連覇を果たした。中心となった柿木蓮投手(18)、横川凱投手(18)、根尾昂内野手(18)、藤原恭大外野手(18)は昨秋のプロ野球ドラフト会議で夢を叶えた。西谷浩一監督(49)がキャンプに備えて自主トレに励んでいる4人へのエールや、思い出を語った。1回目は中日1位・根尾。
-根尾の入学時の印象は。
「今までたくさんの高校生を見てきましたけど、根尾は意識が飛び抜けているというか、ここまで芯が強い子はいませんでしたね」
-芯が強いとは。
「ぶれないですね。例えば、周囲がサボっていようが、やっていようが、変わらないです。みんな目標に向かってやりますけど、体調が悪いとかで、ぶれる時があるじゃないですか。大人でも。根尾はそれがない。『うまくなるには何をすべきか』という感じで。向上心という言葉でいうと軽いような。好奇心もあるし、どっちが大人か子供かっていつも思います。話をしていると、こちらが『ああ、そうか』ってなりますから(笑)」
(続けて)
「意識は高校生ではありませんね。甲子園で取材を受けたから勘違いするとか、1%もありません。ドラフト後も必死でしたよ。先日も8時半集合でしたけど、7時過ぎに来て1人で練習してました。『今日は取材を受けるので、昼に上がらせてもらうので先にやってます』って」
-二刀流で注目された根尾の育成方針は。
「投手ばかり…という形にさせたくなかったんです。根尾が投手だけでプロを目指すならば、やり方は変えられていたと思います。それなら高校レベルで言うと、もっとよくなった可能性はあったと思います。でも、僕の頭のどこかに、中田(日本ハム)を2年春に肘をケガさせてしまったことが、すごく残っているんです」
-頭に残っていることとは。
「中田は体が立派で、投球フォームも柔らかったし、僕は投手でプロに行かせたかったんです。ウサギとカメで言ったら、辻内(元巨人)のようなカメの選手を鍛えて、150キロを出せるようにはできたけど、中田なんて完全にウサギの選手でした。1年冬に付きっ切りでやったら、2年の春は151キロぐらいを出して。スピードガンの数字だけではなく、『うわー、すごいなあ』と思いましたもん。松坂投手(中日)ぐらいになるんじゃないかと思っていました」
(続けて)
「でも、2年春にケガしてからは、元通りにはなりませんでした。球速が出ていても僕らからしたら全然で。中田のボールではなかったし、本人も首をひねってばかりで。だから、根尾を下級生からたくさん投げさせることは引っかかっていました。頭のどこかに中田のことがあって。根尾を最初から『投手、投手』としてしまったら、故障した時に将来が…というのがありましたね」
-1年時の根尾の練習の比重は。
「8割ぐらい野手でした。根尾は『投げたい投げたい』というのがあるんです。『昨日しっくりこなかったので、もう少し投げたいです』と言ってきても、ブレーキを掛けていました。理由を話すと分かってくれるので。そういう話をしたし、できる子でした」
-ポジションの希望はあったのか。
「『プロでは内野』って言っていました。でも、ドラフト前に『(マスコミに)内野と言っていいんですか?』という相談は受けました。二刀流と報道してくれているのに、『野手希望』って言ったら否定しているようで、言ったらいけないのかなと考えていたみたいです(笑)」
-思い出は。
「いろんな場面がありすぎて…。長かったですね。もう少しで卒業して、お別れと思うと寂しいです。心配はありますけど、どんなところでもぶれないと思います」