4年後の閉校決定…大激震の広国院大 ナイン一丸でV目指す 広島六大学野球31日開幕
広島六大学野球秋季リーグ戦が8月31日に開幕する。3連覇を目指す近大工が優勝争いの中心だが、その対抗馬となるのが春季リーグ2位だった広島国際学院大(広国院大)。
しかし、チームは春季リーグ戦後、大激震に見舞われた。学校が来春以降の学生募集を停止し、2023年3月で閉校すると発表したのだ。少子化で学生確保に苦戦し、定員割れによる赤字経営が続いているのが理由。学生はもちろん、大半の職員も事前に知らされておらず、あまりにも突然の発表だった。
昨春からチームの指揮を執る長谷川貴法監督(48)も「びっくりした。まさかこんな事態が起こるとは思ってみなかった。まだ実感がない」と話す。就任以降、着実にチームは力をつけ、今春は近大工と優勝争い。来春入学へ向けて有望な高校生のスカウト活動も順調に進んでいたが、それも白紙となり、無念さを隠せなかった。
選手にも大きな衝撃が走った。特に1年生は今後、下級生は入ってこないため、3年後には自分たちだけで戦うことになる。動揺は大きく、退部する選手も出たという。
長谷川監督は選手を集めて「いずれ学校がなくなることは残念だが、今、自分たちが野球をやることに変わりはない。みんなで頑張っていこう」と言葉をかけた。幸い1年生は1チーム編成できるだけの人数はそろっており、選手からも「最後(4年)まで続けたい」という希望が伝えられた。
春を最後に4年生の大半は引退。一方で秋季リーグへ向けて新しい戦力も育ってきている。長谷川監督は「一戦一戦、戦う中で力をつけていくチーム。いい戦いをしてくれるのではと思っている」と選手に信頼を寄せる。沖田幸祐主将(3年)も「チームの士気はまったく下がっていません。優勝を目指して全員で戦っていく」と決意を口にした。
ライバル近大工を倒して、狙うは14年秋季リーグ以来となる10季ぶりの優勝。チーム一丸となって頂点をつかみ取り、広島六大学野球の歴史に一つでも多く「広国院大」の名前を刻み込む。
◆広国院大 1967(昭和42)年の広島六大学リーグ発足とともに参戦。広島電機大から99年に現大学名に変更された。リーグ戦では春は1度、秋は3度の優勝がある。プロ野球選手は元オリックスの山口和男、元巨人の隠善智也、元ロッテの宮崎敦次(現広島打撃投手)の3人を輩出している。
◆今後の広島六大学野球 広国院大の閉校に伴い、1大学減ることになる。同連盟の居原直行事務局長は「今後どうするかはまだ何も決まっていません。まだ3年あるので、全日本大学野球連盟とも相談しながら決めていくことになると思います」と話した。選択肢としては、新たな大学の加入と、5大学のまま継続の2つがある。