「ミスタードラゴンズ」高木守道さん死去 78歳、球史に残る「10・8」決戦指揮

 2度目の中日監督時代の12年開幕戦で勝利してファンにあいさつする高木守道さん=12年3月30日、ナゴヤドーム
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 中日元監督の高木守道氏が17日午前4時ごろ、急性心不全のため死去したことが分かった。78歳だった。中日一筋で現役時代は盗塁王のタイトルを3度獲得したほか、卓越した打撃や堅実な守備でファンを魅了した。1980年の現役引退後も、中日監督などを務めチームに大きく貢献した。

 「ミスタードラゴンズ」が天国へ旅立った。高木氏は60年に中日入団。同年5月7日の大洋戦で、代走で初出場し初盗塁。さらに、この試合でのプロ初打席でプロ初本塁打を放った。64年8月5日の大洋戦では1試合5盗塁を記録。74年はトップバッターとしてチームをけん引して20年ぶりのリーグ優勝に貢献した。77年6月にはNPBタイ記録となる4打数連続本塁打。78年は中日生え抜き選手では初の通算2000安打を達成した。

 現役通算成績は2282試合で打率・272、236本塁打、813打点。2274安打、369盗塁でベストナイン7度、ダイヤモンドグラブ賞3度選出されるなど走攻守で存在感が際立った。

 80年に現役を退き翌81年に1軍作戦守備コーチに就任。2軍監督なども歴任しながら、86年のシーズン途中から山内一弘監督の休養を受けて代理監督を務めた。

 その後、野球解説者などを務めて92年から4シーズンを指揮。中でも94年は、シーズン最終盤で2位から首位・巨人と同率で並び、最終戦で勝った方が優勝となる「10・8」決戦へ。ただ、球史に残る世紀の一戦で敗れ優勝を逃した。

 再び12年からの2年間で中日監督を務めたが、指揮官として優勝を経験することはできず。監督通算成績は787試合で383勝379敗25分け、勝率・503。06年に野球殿堂入り。

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