佐藤義則氏 千賀の飛躍のきっかけは15年のCSファイナルS第1戦
カブス・ダルビッシュ有、ヤンキース・田中将大ら、後のメジャーリーガーのみならず、阪神、オリックス、日本ハム、楽天、ソフトバンクで数多くの投手を育て、また1軍投手コーチとしてはすべてのチームを優勝に導いた名伯楽・佐藤義則氏が再び、デイリーの解説陣に加わった。技術論にとどまらない、深い解説はオープン戦以降の楽しみとして、まずは指導者としての来歴を、自身に振り返ってもらう。
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忘れられないのは2015年、僕がソフトバンクのコーチに就任した年です。プロ5年目を迎えていた千賀(滉大)でしたが、この年は1軍で4試合しか登板がなかった。
チームはリーグ優勝を果たし、CSファイナルSに臨むのですが、第1戦(10月14日)に先発した武田(翔太)が不調で同点の五回にピンチを迎えたんです。
ここで僕は工藤監督に、千賀を推薦しました。レギュラーシーズンの実績が乏しかったので監督は「えっ」という顔をしましたが、とにかくブルペンの球がすごかった。ストライクさえ入れば、抑えられると思ったんです。
最初の打者は四球で1死満塁。ドキドキしましたが、そこから2者連続三振で切り抜けたんです。これが、自信となったように思います。翌年から4年連続2桁勝利のエースに育ってくれました。
技術を教えるだけでなく、いいタイミングで背中を押してやれば、飛躍につながる。投手コーチ冥利(みょうり)に尽きるものです。
大きな心残りは、03年の阪神です。1軍投手コーチとして唯一、日本一になれなかったチームです。今でも思い出すのが、3勝2敗で迎えた第6戦です。ここで誰を先発させるべきか。僕が推薦したのは、福原(忍)でした。
前年の、肩の手術の影響でシーズンは5試合しか投げていなかったのですが、この時期の調子は素晴らしかった。相手もあまり研究してないはずです。
ただ、星野監督(当時)は「伊良部(秀輝)でいいじゃん。シーズンで頑張ったんだから」と。伊良部は第2戦で打ち込まれてもいたのですが、監督の言うことも分かります。強引に福原を押し切れず敗れました。
この試合、伊良部が崩れた後、福原が好投していただけに、先発していたらどうだったかなあ、と折に触れ思い返します。
福原は、僕が最初に見た時、踏み出した足が一塁側方向だったので、いい球はすべて、右打者外角のボール球でした。ストライクは、150キロ出ていても弱い球でした。彼は根気よく修正に励み、乗り越えました。そんな経験もコーチ業に生かせるはずです。投手陣をまとめ、日本一を味わって欲しいですね。
◆佐藤 義則(さとう・よしのり)1954年9月11日生まれ、65歳。北海道出身。現役時代は右投げ右打ちの投手。函館有斗から日大を経て、76年度ドラフト1位で阪急(現オリックス)入団。最多勝(85年)、最優秀防御率(86年)、新人王(77年)。95年8月26日・近鉄戦でノーヒットノーラン。通算成績は501試合165勝137敗48セーブ、防御率3・97。98年現役引退後はオリックス2軍投手コーチ、阪神・日本ハム・楽天・ソフトバンクの1軍投手コーチを務めた。2020年からデイリースポーツ評論家に復帰。