ヤクルト・高津監督は号泣 野村氏の急逝に絶句「見てもらいたかった…」
プロ野球の南海、ヤクルト、阪神、楽天で監督を務めた野村克也氏が11日、午前3時30分に死去した。84歳だった。死因は「虚血性心不全」だった。
訃報を受け、ヤクルトの高津臣吾監督が対応。突然の訃報に号泣した。野村氏のもとで抑えとして活躍した高津監督は「言葉にならない。入団当時から一から十までプロの難しさを…教わりました」と話し始めたところで、涙をこらえきれなくなった。今季から監督に就任し、「見てもらいたかったですし、まだまだ教わることもたくさんありました。最近、会えば、『抑えにして悪かったな』と言われてきました。楽しい時も素晴らしい時もつらいことも、経験できたのがすべての思い出です」と振り返った。
今は「普通の会話がしたい」と語った高津監督。恩師に誓うように、「ヤクルトを愛してくれた人。監督の思いに応えられるように素晴らしいシーズンにしたい」と約束した。
高津監督がヤクルトへの入団時に監督を務めていたのが、野村元監督だった。野球の基礎をたたき込まれた日々。ヤクルトで5度のリーグ優勝、3度の日本一に貢献した絶対的な守護神となった。
先月行われたヤクルトOB懇親会では、久しぶりの対面に笑顔。「私に用事はないですか?」と切り出し、冗談まじりにヘッドコーチ就任を直訴されていた。野村元監督からは「弱いチームを強くするのは楽しいよ。ちょっと頭をひねれば優勝できる」と野村ID野球の“続き”を願われ、「教わったことを取り入れていきたい。常に僕らの教科書にして」と継承を誓っていた。