【悼む】野村克也さん死去 必死に克則氏をかばい涙交じりで語っていた
南海、ヤクルト、阪神、楽天で監督を務めた野村克也氏が11日午前3時半、都内の病院で虚血性心不全のため死去した。84歳。テスト生で南海に入団し、65年に戦後初の三冠王を獲得するなど、数々のタイトルを獲得。現役引退後は「ID野球」を掲げ、ヤクルト監督時代に4度のリーグ優勝、3度の日本一を飾り、「ノムさん」の愛称で親しまれた知将が、静かに息を引き取った。葬儀は密葬で営まれ、後日、お別れの会が開かれる予定。
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野村監督が楽天の監督時代、克則氏は選手だった。記者は克則氏が引退した2006年に担当を務めた。思い出深い1年だったし、親子の情、深い絆を感じた年だった。
投手陣からの信頼もあり、もり立てていくことにたけていた克則氏をスタメンマスクで起用することが多かった。しかし、もう晩年の克則氏の右肩はボロボロ。盗塁阻止率が極端に低かったこともあり、起用するノムさんとほかの捕手を推薦する球団と衝突することがしばしばあったのを覚えている。
引退試合となった10月1日にスタメンマスクをかぶった克則氏。俊足ぞろいのロッテは容赦なく盗塁を試み、6盗塁を許した。必死に二塁へ投げても楽々セーフになる。ノムさんもベンチで悔しそうだったし、記者もプロの厳しさを痛感させられた。
試合後にノムさんが「キャッチャーの一番大事なことはなあ、ピッチャーのよさを引き出すことなんだよ」と必死に克則氏をかばい、涙交じりで語っていたのが心に刺さっている。(デイリースポーツ・05~07年楽天担当・水足丈夫)