ソフトバンク王会長 ノムさんは「同じ時代を悪戦苦闘して戦い抜いた戦友」
南海、ヤクルト、阪神、楽天で監督を務めた野村克也氏が11日午前3時半、都内の病院で虚血性心不全のため死去した。84歳。テスト生で南海に入団し、65年に戦後初の三冠王を獲得するなど、数々のタイトルを獲得。現役引退後は「ID野球」を掲げ、ヤクルト監督時代に4度のリーグ優勝、3度の日本一を飾り、「ノムさん」の愛称で親しまれた知将が、静かに息を引き取った。葬儀は密葬で営まれ、後日、お別れの会が開かれる予定。
ソフトバンクの王貞治球団会長(79)は野村氏の訃報に接し「まさか、カネさん(金田正一氏)に続いてね。本当に残念です。同じ時代を悪戦苦闘して戦い抜いた戦友が亡くなるのは残念でならない。カネさんと昔話をしてほしいね。ご冥福をお祈りします」と沈痛な面持ちで語った。
現役時代は所属リーグこそ違ったが、王会長が歴代1位の868本塁打、野村氏が同2位の657本塁打を放ち、ともに三冠王にも輝くなどライバル関係にあった。「対戦はオープン戦、日本シリーズしかなかったけど、僕が本塁打を打てるようになってからはノムさん宅におじゃましてごちそうになったり、野球の話をしたりした。何でも話せる仲だった」と当時を思い出し、笑顔を見せた。
王会長は生前の野村氏が「王がいたから自分は常に2番目」と口癖のように話していたことも把握していた。「日本の本塁打数の記録で、僕がノムさんに追い付いた時はノムさんも抵抗して、並走して意地を見せていたけど、王に抜かれるなら仕方ないと思っていたんじゃないかな。実際に認め合って、尊敬もしていたからね」。選手としても、監督としても、切磋琢磨(せっさたくま)し続けた戦友の死を心から惜しんだ。