佐藤義則氏、ノムさんに「投手のことは全部任せてもらえた」楽天で1年間投手コーチ
南海、ヤクルト、阪神、楽天で監督を務めた野村克也氏が11日午前3時半、都内の病院で虚血性心不全のため死去した。84歳。テスト生で南海に入団し、65年に戦後初の三冠王を獲得するなど、数々のタイトルを獲得。現役引退後は「ID野球」を掲げ、ヤクルト監督時代に4度のリーグ優勝、3度の日本一を飾り、「ノムさん」の愛称で親しまれた知将が、静かに息を引き取った。葬儀は密葬で営まれ、後日、お別れの会が開かれる予定。
デイリースポーツ評論家の佐藤義則氏(65)は、野村氏が阪神監督だった2001年オフに、投手コーチとして招聘(しょうへい)された。
その時の秋季キャンプ中「1カ月間、ご飯を食べながら、いろんなお話を聞くことができました」と互いの野球観を確認し合う時間を持った。
ところがほどなくして、01年限りで野村監督退任が決定。それから7年のブランクを経た09年、楽天監督4年目となる野村氏から再び呼ばれて1年間、同じユニホームを着た。
佐藤氏は「野村さんは『あの時は悪かったな』と。02年のことをずっと気にかけてくれて…」と回想する。
バッテリー論では突出した監督だったが「『田中(将大)と一場(靖弘)を何とかしてくれ』と。あとは何にも言わず、ピッチャーのことは全部任せてもらえました」という。続けて「僕がもう少しうまく中継ぎを回せてたら、野村さんを勝たせてあげられたかな」と2位に終わったことを残念がりつつ「ご冥福をお祈りいたします」と結んだ。