ヤクルト高津監督、涙「見てもらいたかった」 怒られた記憶なし感謝の言葉が支えに…
南海、ヤクルト、阪神、楽天で監督を務めた野村克也氏が11日午前3時半、都内の病院で虚血性心不全のため死去した。84歳。テスト生で南海に入団し、65年に戦後初の三冠王を獲得するなど、数々のタイトルを獲得。現役引退後は「ID野球」を掲げ、ヤクルト監督時代に4度のリーグ優勝、3度の日本一を飾り、「ノムさん」の愛称で親しまれた知将が、静かに息を引き取った。葬儀は密葬で営まれ、後日、お別れの会が開かれる予定。
ヤクルトの高津臣吾監督(51)は亡き恩師へ素晴らしいシーズンを約束した。何度も言葉にしたのは、“野村監督”が築き上げてきた野球の継承。「見てもらいたかったし、ぼやいてほしかった…。まだまだ教わることはたくさんありました」。突然の訃報に言葉が詰まった。
潤んだ瞳は真っ赤に染まった。何度も目頭を押さえ、鼻をすする。たくさんの思い出が頭の中を駆け巡った。高津監督がヤクルト入団時に監督を務めていたのが野村氏だった。野球の基礎をたたき込まれる日々。その後、絶対的守護神に成長したが、これまで怒られた記憶は全くないという。支えとなったのは感謝の言葉だった。
「セーブし終わって、ハイタッチする最後が野村監督だった。そのときに決まって言われるのが『ありがとう』か『サンキュー』。それが僕にとっては全てでした」
最近は顔を合わせれば、謝罪が決まり文句だったという。「抑えにして悪かったな」。偉大な恩師であり、頼れる先輩だった。先月のヤクルトOB会では、冗談交じりにヘッドコーチ就任を直訴された。「ヤクルトを愛してくれた人。伝統をつなぐのがヤクルトの野球なので、僕も野村野球を継承していきたい」。思いを受け継ぎ、エールを胸に-。涙の分だけ、前へ進む。