関根潤三さん安らかに ヤクルト黄金期の礎築いた“球界の好々爺”93歳で逝く
プロ野球の大洋、ヤクルトなどで監督を歴任した関根潤三氏が9日午前9時45分、老衰のため東京都内の病院で死去した。93歳。葬儀・告別式は家族葬で、日程は未定。喪主は長男優一(ゆういち)さん。人材育成の名手として知られ、広島の1軍打撃コーチ時代には衣笠祥雄らを育て上げると、ヤクルト監督時代には池山隆寛、広沢克実らを積極的に起用。野村監督時代の黄金期へとつなげた。また野球解説者としても穏やかな語り口で人気を博し、プロ野球の人気を支えてきた1人だった。
穏やかで優しい語り口ながら、鋭くプレーに切り込むあの解説を聞くことはできない。大洋、ヤクルトなどで監督を務め、野球中継や「プロ野球ニュース」の解説者としても人気を博した関根氏。2月に逝去した野村克也氏に続き、ヤクルト黄金期の礎を築いた名伯楽が逝った。
戦後の動乱期を乗り越え、1950年に入団した近鉄では、“二刀流”として活躍した。53年から3年連続2桁勝利を挙げ、57年に外野手へ転向。巨人に移籍した65年に現役引退したが、オールスターに5度出場。投手と野手の両部門でファン投票により選ばれたのは、2015年の投打の「二刀流」、日本ハム・大谷まで関根氏だけだった。
指導者時代には若手育成の名手として名をはせ、70年に広島の1軍打撃コーチに就任すると、当時、若手だった山本浩二、衣笠祥雄らを猛練習で鍛え上げた。75年には巨人の第1次長嶋政権でヘッドコーチに就任。ミスターが招へいに動いた背景には、関根氏の卓越した指導力があったからだという。
現役最後のシーズンとなった65年、中心打者として君臨していたミスターが関根氏の打撃理論に心酔。同氏が引退した後も、スランプに陥った際には電話などでアドバイスを求めていたとの逸話が残っている。
その縁は続き、ヤクルト監督時代の87年度ドラフトでは長嶋氏の長男・一茂を1位で指名した。卓越した指導力で池山隆寛、広沢克実ら個性豊かな若手選手たちをレギュラークラスへと引き上げ、黄金期を作った野村監督へバトンを託した。
優しそうな見た目でも、選手を育て上げることに関しては妥協を許さず、時には厳しい一面ものぞかせていたという関根氏。現場で、そして解説者としてプロ野球の隆盛を支えた男が、この世を去った。