ヤクルト・池山2軍監督、ブンブン丸を育ててくれた…関根氏悼む
大洋、ヤクルトなどで監督を務めた関根潤三氏(93)が9日、老衰のため東京都内の病院で亡くなった。ブンブン丸の愛称を世に広め、一流選手への礎を築いてくれたというヤクルト・池山隆寛2軍監督(54)は、昨年まで評論家を務めたデイリースポーツにメッセージを寄せた。
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関根監督に“野球の楽しさ”を教わって、野村監督に“勝つ野球”を教わった。2人の監督が、ブンブン丸としての私を育ててくれました。中でも関根監督は、私が若い頃に一番我慢して使っていただいた監督です。
あの時は、自分がこれほど三振するバッターになるとは思いもしませんでした。「三振しても下を向いて帰ってくるな」。これは、うつむきながらベンチへ戻った時に投げかけられた言葉です。監督は常にプラス思考。試合では元気にプレーすることを求められ、私たちは関根監督の下でのびのびと野球をやらせてもらえました。
プロ4年目か、5年目の時でしたか。春のキャンプの夜間練習で「マンツーマンでいくぞ」と呼ばれて、最初は前から後ろから横から見てくださっていたんですけどね。急にいなくなったなと思ったら、記者の方とお茶してて…。1時間半くらい放置されてバットを振っていたのが、一番の思い出です。
今もサインの横には、丁寧に添えています。“ブンブン丸”-と。名付け親は当時投手コーチだった小谷さん。「うちのブンブン丸がね」と周りに広めてくれたのが関根監督でした。今年から私は、ヤクルトに戻ってこられました。これからも天国から見守っていてください。長い間、本当にありがとうございました。