広島&巨人「未完の大器」のまま引退した3選手 名伯楽内田順三氏が惜しむ
華々しいプロ野球の世界。一方で類いまれな才能を持ちながら、大輪の花を開かせることができず去っていく選手も少なくない。広島、巨人で数多くの強打者を育てた名伯楽・内田順三氏(前巨人巡回打撃コーチ)に、「未完の大器」のまま引退した選手を挙げてもらった。
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カープでは岩本貴裕の名前が浮かぶ。08年ドラフト1位で入団した左の長距離砲。当時、私は打撃統括として指導していたが、外国人も含めてチームにはパワーヒッターが不在で、松田元オーナーから「岩本を見てくれ」と言われていた。
逆方向にも長打が打てるし、非常に魅力のある選手だった。2年目には14本塁打。ただ、小器用だったことが、彼にとっては逆にマイナスに働いた。三振を怖がらずにやらせれば良かったが、性格がまじめで、少し悪いと打撃フォームを変えてしまう。苦手なインコースを攻められ、かかと体重になってしまうことで、外角を逆方向に打つ長所までぼやけてしまった。
昨年引退し、スコアラーに転身。膝の故障も伸び悩んだ一因だと思うが、大成してもおかしくない、紙一重の選手だった。
カープでは斉藤浩行も惜しい選手だった。81年に東京ガスからドラフト2位で入団。私は83年からコーチとなったが、斉藤は右の長距離砲で、「ポスト山本浩二」として注目されていたことを覚えている。
ルーキーイヤーに4本塁打。だが、飛躍が期待された2年目のキャンプでイレギュラーした打球を右目に受け、視力が低下してしまった。以来、ファームのデーゲームでは本当に良く打つが、1軍のナイターでは活躍できない。ファーム通算161本塁打は今も破られていない記録だが、1軍では11年間で16本塁打。中日や日本ハムにも移籍したが、目立った活躍ができなかった。
メンタルの部分に弱点があったのかもしれないが、当時はけがのせいで「鳥目なんじゃないか」とも言われていた。視力などに問題があれば今ならいろいろと対処できることもあるが、当時はそういうこともなかった。「あのけがさえなければ…」という選手はいるものだが、斉藤は特にそう思う選手だった。
ファームでは敵なしという選手では、巨人の大森剛も同じだった。89年のドラフト1位、慶大から鳴り物入りで入団。だが、巨人の一塁手は外国人やFAで次々と選手が加入してくる。きっかけをつかむチャンスが少なかった。
ぶざまな三振をすればすぐに2軍落ち。ファームでは不動の4番でも、心理的に余裕がなかったと思う。技術うんぬんではなく、メンタルが原因で壁に当たる選手もいる。近鉄に移籍して活躍した吉岡雄二、日本ハムで花開した大田泰示も巨人時代は同じような心理状態だったのではないか。
才能ある選手でも、監督の起用法やチーム事情で埋もれてしまう可能性があるのもプロの世界。長い指導者人生では、「あの時、何かできなかったか」と悔やむケースがあることも事実である。