明徳義塾・奥野 親元を離れて成長した6年間 母の元へ泣きながら走ったことも
「高校野球交流試合、明徳義塾6-5鳥取城北」(10日、甲子園球場)
その俊足にプロも注目する、明徳義塾(高知)の奥野翔琉外野手(3年)は親元を離れた中高6年間で、心も体も大きな成長を遂げた。
母・里美さん(41)の脳裏には、寮からの坂道を泣きながら走ってくる奥野の姿が、今でもはっきりと浮かんでくる。
明徳中に入寮した翌日の入学式の朝、両親に駆け寄ってきた奥野の手には明徳の白いトレーナーが握られていた。「入寮した日の夕ご飯がカレーで、それをこぼしたみたいで」。洗ってと言わんばかりに差し出されたトレーナーを受け取った里美さんは、京都まで持ち帰って洗濯し、明徳の寮へ送り返した。「やっぱり僕には早かった」。京都へ戻る道中で受けた電話の奥野は声を震わせていたという。
子供の頃からプロ野球選手を夢見てきた奥野。福井少年野球クラブでは主将を務め、夢のため、レベルの高い環境を求めた。明徳から声がかかると、どうしても行きたい、と頼み込んで越境入学を決めた。
その夢が現実味を帯びたのはこの冬。馬淵史郎監督(64)から「長打が打てるようになればプロにいけるかもしれない」という言葉をもらい、意識が変わったという。冬のトレーニングで体重を8キロ増やし、打球の飛距離も向上した。
一方で、長打を狙うあまり、夏の高知県代替大会では「自分勝手なバッティング」になったことを反省。県大会後、監督、コーチからも「お前の持ち味はなんだ」と諭された。
「野球は1人ではできない。打ち方も考え方も変えた」。
この日は1番打者として4つの四死球で出塁し、2盗塁と自分の役割を果たした。五回1死三塁の場面では、浅めのフライで三塁から一気にタッチアップ。最大の長所である足を存分に見せつけた。
心身で大人になった夏が終わった。プロ志望届の提出も明言し、次なる夢へ走り出した。