オリックス【きょうは何の日】1995年、佐藤義則史上最年長ノーヒットノーラン
「近鉄0-7オリックス」(1995年8月26日、藤井寺球場)
オリックスが誇る球界最年長投手・佐藤義則。40歳11カ月。プロ19年の年輪を刻んだ男が見せたノーヒットノーラン。腰痛で練習生扱いの任意引退選手になったこともある。不死鳥のようによみがえった男が日本球界初の四十代による快記録。震災Vへひた走る青波戦士が歴史に名を刻んだ。
その瞬間、だれもが興奮を抑えきれないでいた。
グラウンド上に散らばっていた選手だけではない。山田久志投手コーチをはじめとするコーチ陣までもがマウンドへ走る。快挙を成し遂げた主役の姿は見え隠れするほどにナインの輪の中でもみくちゃにされた。
潔い生きざまそのままに「打たれたら代わろうと思っていた」と記録への強いこだわりはなかったという。しかし、一つだけこだわったのは最後の打者への最後の1球だった。
「あと一人、あと一人」
自然発生したコールの中、リー・スチーブンスへのカウント2-2からの1球だ。中嶋聡のサインに2度首を振った。
「いつもは首を振らないで自分の思うサインが出るまでじっと待つですよ。よっぽど投げたかったんでしょうね」
女房役はこう振り返った。選んだボールは“ヨシボール”。親指と人さし指で挟む伝家の宝刀、全力で腕を振り空振り三振に斬った。
開幕投手を務めながらも苦しいシーズンだった。4月の試合中に太ももを痛め予告先発を回避して以来、故障と向き合う日々。引退報道も出た。
「1回ケガしたくらいで辞めるか!」
佐藤は言い切っていた。
この日のMAXは144キロ、年齢を感じさせない球威は健在だった。
「もらった人が喜んでくれたらいいよ」
記念のウイニングボールはスタンドへ投げ入れた。
どこまでも潔いベテランは9月に41歳を迎える。
優勝へのマジックは17に減った。
当日のスタメンは次の通り。
(8)イチロー
(7)田口 壮
(3)D・J
(D)トロイ・ニール
(9)藤井康雄
(5)馬場敏史
(2)中嶋 聡
(4)風岡尚幸
(6)勝呂壽統
(P)佐藤義則