巨人沢村トレードは原監督“最後の親心”「素晴らしい選手」「求められたところで」
巨人・沢村拓一投手とロッテ・香月一也内野手の交換トレードが成立したことが7日、両球団から発表された。
かつてのドラ1右腕の電撃トレード。原監督は電話で激励したことを明かし、「俺は味方だと。応援してるぜ!というところで送り出しました」と語った。入団時から沢村の実力を高く評価してきた指揮官にとって、この移籍は“最後の親心”といえるだろう。
沢村はドラフト1位で入団し、11年に11勝を挙げ、新人王を獲得。先発として成績が伸び悩むと、15年には原監督がリリーフに転向させて守護神として36セーブを挙げた。高橋由伸監督が率いた16年は、37セーブでタイトルも獲得した。
だが、リリーフとしても成績が伸び悩むと、19年シーズンは再び先発に。この判断を下したのも、この年から復帰した原監督だった。「1点を守るのは窮屈そうに見える。彼の良さをよく知っています」。沢村の実力を最大限に発揮させようと決めた、配置転換だった。
その後、リリーフに戻したが、リーグ優勝に欠かせない存在として機能。防御率2点台と安定感を取り戻した。
ただ、今季はまたも制球難を露呈。7月1日のDeNA戦では、1点リードの8回から沢村が登板したが、四球を連発して逆転負け。原監督は試合中にベンチで沢村を呼び、横に座らせた。「156キロでしょ。パットンよりも速いんだよ」。自滅する右腕に自信を持たせようと言葉をかけたが、復活はならなかった。
8月には2軍調整から3軍調整になると、原監督は阿部慎之助2軍監督から連絡がきたことを明かした。阿部2軍監督も沢村の中大の先輩で現役時代から気にかけてきたひとりだったが「慎之助も悩んでいるよ。『こうします』と連絡はきたけど、そこは任せると」。その後は再び2軍でも登板したが、沢村のためにもロッテ移籍を後押しした。
グラウンド内外の言動でも、何かと注目を集めてきた剛腕。原監督は「多分、今まで自分の中で選手、コーチ、教え子という立場の中で、一番話をした人かもしれないね」とし、「非常に思い出深い、素晴らしい選手でした。環境が変わってステップ材料とするように。求められたところが、彼にとって素晴らしいことですから」と、エールを送った。