鳥谷が激白 ロッテと阪神で日本シリーズを!現役続行の決め手は家族の言葉【NPB】
ロッテ・鳥谷敬内野手(39)が、デイリースポーツの単独インタビューに応じた。昨季限りで阪神を退団したが家族の希望で現役続行を決意したことを明かした。また阪神・大山悠輔内野手(26)に熱いエールを送った。
◇ ◇
-今年、ロッテでどんな心境でプレーしていたか。
「自分自身の新しいチームで、環境も違う。環境に慣れるということが最初だった。選手間もそうですし、何とか早く慣れていかなきゃな、という思いでやってきました。本当に若い選手も多いので、そこらへんの難しさがあまりなく、結構、すっと入れたかなとは思います」
-ロッテの若い選手たちに、よく声をかけていた。
「やっぱり、長い間、自分としてのある程度の経験もありますので、そこらへんの話をしながら1年間やってました」
-井口監督には、若い選手に刺激を与えてほしいという意向がある。
「自分が(阪神で現役を)バリバリやっている時は、みんな中学生なのか高校生なのか分からないですけど、そういう年代。そこで一緒にやるという意味の刺激もあると思います。あとは年齢を重ねても、しっかりやれば体は動くんだよというところも見せたいというのがありました」
-ロッテ球団は、リーダーシップを評価していた。
「状況に応じて自分が経験した時はこうだったという話はできるので。そこらへんをリーダーシップと呼ぶのかどうかは、自分にはちょっと分からないですけど。自分のある程度の範囲内でできることっていうのは、できたかなと思います」
-今年、自身で一番印象に残っているシーンは。
「代走で行ってホームでセーフになったプレー。もしアウトになっても同点で終わりという色んな状況を自分の頭の中で置いて、最後、ホームに行った。ピッチャーの動きとか、キャッチャーの送球とか全部、判断しながら行った。自分としては今までの色んな経験が生きた判断だったと思いました」
(※鳥谷は8月20日・ソフトバンク戦に代走で出場。延長十回に同点に追いつき、なお2死一、二塁から暴投で二塁からヘッドスライディングで生還し劇的なサヨナラ勝ち。レジェンドが“神走塁”を披露した)
-優勝争いを演じ、2位でCSに進出した。
「どういう形なのかは今年しか知らないので。今年のチームの雰囲気とかチームの状況というのが、自分自身はロッテというチームの基準になるので。今年がどうだったかというよりは、今年の状態であったり、この雰囲気を来年どうしていくかということは考えています」
-家族からロッテ・鳥谷について、ユニホームが似合うかどうかを含めて何か言われたことは。
「家族が阪神の時もそうですけど、みんなで野球を見るっていう感じでもない。ロッテに入団したからっていうのは、あまりないです。背番号の違いだったりとか、自分はほとんど家にいないので、そこらへんの違いぐらいで。ユニホームがどうこうというのは言ってないです」
-昨季限りで阪神を退団した時の心境は。
「当然、阪神で長いことやっていたので阪神で終われたらなっていう気持ちは、阪神でやっている途中からありましたけど。それはやっぱり、いつかは終わりがくるし。必要とされなければやめなければいけないし、という思いはあった。そこに対して、どう、というのはなかったですけど。自分自身としてはまだ体も動くし、どこか必要としてくれるところがあれば、もうちょっとやりたいなという思いがあった」
(続けて)
「家族もそこで、このままやめるよりは、もうちょっと続けてほしいという話だったので。嫁さんと長男が『もうちょっと続けて』という話だったので。それが一番大きくて。じゃあ探そうかなという感じでした。阪神をやめる寂しさというよりは、もうちょっと続けるところを探して、そこでできたらなという思いがあった。あまりその(阪神を退団した)瞬間にどうしようかなとか、そういうことは全然なかったです」
-移籍先を探す過程で大変な思いをしたのではないか。練習場所を探すのも苦労した。
「でも、なかったらやめればいいだけだったので。そんなにどうしようかなという感じではなかったですよね。練習は自分でできるので。キャンプ期間もずっと家にいられたので。そこらへんは、良かったのか悪かったのかは別にしても、のんびりしてました」
-3月にロッテ移籍が決まった。
「決まった時はやっぱり、もう一回、野球ができるということでね。うれしいというよりも、やっぱりそこから、やっと戦いが始まるので。体もそうですし、気持ちもやっぱり、ここからしっかり入れていかないといけないなという思いでした」
-その当時のロッテのイメージは。
「自分たち(阪神)が(日本シリーズで)2005年に4連敗しているっていう、逆に言えばそれしかない。そのチームで自分がやるのも何かの縁なのかなと感じました」
-今年、阪神の試合や結果を気にしたか。
「全く見てないです。球場でスコアボードに出ているので、それで勝っているな、負けているなぐらいは見ますけど。そもそも(関東では阪神戦の中継を)テレビでやってないです。(単身赴任先の)家にもテレビは置いてない。(阪神が試合を)やっている時間は、自分も試合をしている」
-今年の阪神をどう見ていたか。
「順位と、ある程度、大山が活躍しているとか。大山に関してはやっぱり自分がサードを守っていて、大山が来て自分がはじかれるような形だったので。そういう意味では、はじいた選手が活躍してくれるのは非常にうれしいですし。頑張ってほしいなっていう思いもある。シーズンが終わってからの成績しか見てないですけど。すごい、いい成績だったと思います」
-大山は今年、飛躍した。
「そうですね。なかなか、うまく行かない時もあったと思う。そういう意味では、ここからスタートで。やっぱりプロなので何年も連続で成績を残さないといけない。頑張ってほしいと思います」
-阪神とロッテの違い。
「それはメディアが、全然違いますよね。メディアに制限をかけないといけないのが阪神。メディアにお願いして発信してもらうのがロッテだと思っている。それぐらい大きな違いはあります。阪神に関しては、それだけ(多くの)メディアが入ってくるということは、言動だったり行動だったりとかいろいろ制限がかかってきますし。関西では(プロ野球の球団は)オリックスと阪神しかない」
(続けて)
「関東で言ったらたくさんのチームがあるわけなので。そういう違いも当然、ありますし。野球だけ(に集中する)という意味では当然、ロッテの方がやりやすいと思いますし。色んな意味で自分を輝かせるという意味では、阪神の方がいいかもしれないですし」
-そういう阪神で鍛えられたということはあったか。
「鍛えられたと言うか、逆に自分はそれしか知らなかった。ロッテに来て、阪神で自分がやっていた時の基準がそうじゃないんだなという感じです。逆にロッテから向こう(阪神)に行っていたら、きつかったと思います。阪神にいて、入った時からそれが当たり前だった。2003年に優勝して過熱している中で、2004年に自分が(阪神に)入っている。ピーク時じゃないですけど、すごい時の状況が当たり前だった。それがロッテに来て当然、コロナ(禍)もあって、メディアの数もファンの数も全部、ガクッと減っているというタイミングと、自分が移籍してきたタイミングが重なったので、より感じたかもしれないですけど」
-来季に向けて。
「最大の目標はチームが勝つことです。個人的な数字よりもチームが勝つことが一番だと思います。その中で自分の成績だったり、自分がスタートから出てそれも実現できたら、より良いので。当然、それを判断するのは自分じゃないので。監督、コーチですけど。監督、コーチがスタメンを迷うような、それぐらいの状況を作れたらチームにもプラスになると思う。内野のレギュラー争いをちょっと刺激できるような。そういう状態に持っていきたい」
-ショートのレギュラーポジションが競争になる可能性がある。
「当然、自分が(守備に就いた中では)一番多く守ってますし。一番自信があるポジションなので。まずは、そこでしっかり勝負できるようにしていきたいと思います」
-日本一が目標。
「もう自分が入りたてでレギュラーを目指して、そのままレギュラーでチームの勝ちよりもまず、自分の立場をという年齢ではない。年齢が上なので当然、チームの順位だったりチームの状況が価値になりますし。そこはしっかり踏まえた上で、より自分が野球のフィールドでの成績で貢献していくというのが、重要になるかなと思います」
-関西や阪神の鳥谷ファンにメッセージや思いは。
「自分ができる恩返しというか、そういう人たちにできるというのは、グラウンドに自分が元気良く立っている姿を見せるというのが一番だと思います。そこに向けてオフもキャンプもしっかり、やっていきたいと思います。あとは、ロッテと阪神が交流戦や日本シリーズで戦っている姿を見せられれば一番だと思う。そこに向かって、頑張っていきたいと思っています」
-交流戦や日本シリーズで対戦したい阪神の選手は。
「やっぱり、未来もあってという意味で一番分かりやすく言えば藤浪とか。実際になかなか対戦する機会もなかったですし。どういう球を投げているのかとか。そういうのは打席で見てみたいなと思います」
-ロッテのファンにメッセージや思いは。
「今年は本当にロッテの応援の代名詞じゃないですけど、声を出してというのが、やっぱりなかなかできなかった。自分も(ロッテの)応援のすごさを交流戦でしか分からなかった。1年間通して、来年はできるような状況になってほしいなと思いますし。その応援を楽しみにしている。ぜひ球場でね。ファンの人たちがいっぱい球場に来て、野球で元気になってくれるようなプレーをするのが自分の役割だと思いますし。そういう状況になったら、たくさんの人に来てほしいです」