オリックス・平井コーチ 震災から26年、記憶の風化危惧「伝えていかないと」【NPB】
オリックスは17日正午、大阪市内のオセアンBSで湊球団社長、福良GMら選手、スタッフ約60人が神戸に向かって1分間の黙とうをささげた。
阪神・淡路大震災が発生した当時、神戸市西区にあった青濤館で被災した平井正史育成コーチ(45)は「体験したことのない揺れ。何が起こったのか分からず頭が真っ白になった。動けないし、立てなかった」と振り返った。
プロ2年目。合同自主トレの行われる宮古島へ向け出発予定だった。イチロー、小林(宏現2軍監督)ら寮生たちは強烈な揺れで目覚め、自然に食堂に集まった。「今のなんやったんや」と不安な声があがった。
「電気も来てなくて情報がなかった。空港に行こうとタクシー会社に連絡したら“無理です”と言われた。車のテレビで見たら“スゴいぞ”となった。寮から長田が燃えている煙も見えた」
途方に暮れていたら当時、珍しかった携帯電話を持っていたイチローに自主トレ中止の連絡が入ったという。
その年は『がんばろう神戸』を合言葉に地域とチームが一体となり初優勝した。
「最初は神戸で試合をやれるのかも分からなかった。6月ごろからお客さんが入ってくれて、スタンドを見ると自然と力が入った」
あれから26年、大半の現役選手は当時の記憶がない。「われわれが伝えていかないといけない」と風化を危惧していた。