がん闘病公表の大島康徳さんが死去 前向きに生きる姿を発信 通算2204安打
プロ野球の中日、日本ハムでプレーし通算2204安打、監督としても日本ハムを率いた野球評論家の大島康徳さんが死去したことが5日、分かった。70歳だった。ステージ4の大腸がんや、肝臓などへの転移を公表しながら、解説者としての仕事を続け、また日常を前向きに生きる姿を自身の公式ブログを通じて発信し続けていた。
1950年10月16日生まれ。大分県出身。
大島さんは、2017年2月7日にブログで、16年10月に大腸がんが発覚したことを告白。ステージ4で肝臓に転移していることを明かした。その後は治療しながら評論家活動を続けていたが、今年5月29日に腹水がたまっていることを公表。6月3日に入院し、翌4日に長時間をかけ腹水を抜き、6日に退院した。だが、体調が良くなく、17日に再入院。21日には、がんが肺へ転移していたことを公表し、24日に在宅医療を受けるため退院したことを報告していた。
ブログをこまめに更新し、治療の苦しさや仕事の様子などを記録。17年6月22日に死去した歌舞伎俳優・市川海老蔵の妻でフリーアナウンサー・小林麻央さんとも、闘病生活を記録するブログを通じて交流していた。
大島さんは、1968年度ドラフトで中日から3位指名を受け投手として入団。すぐ野手に転向し、71年に初めて1軍出場を果たし74年、82年のリーグ優勝に貢献した。83年には36本塁打を放ち広島の山本浩二とホームラン王を分け合った。
星野仙一監督が就任した87年オフにチーム改革のため、田中富生投手、大宮龍男捕手との交換トレードで曽田康二投手とともに日本ハムへ移籍。90年8月21日・オリックス戦で通算2000安打を達成した。94年に現役引退するまで、2638試合に出場、2204安打、382本塁打を記録した。
95年から評論家として活動していたが、99年オフに日本ハムから監督要請を受け、00年から指揮を執った。初年度は3位になったものの翌年から6位、5位と低迷し02年限りで退任。再び評論家として活動したが、06年に第1回WBCで王貞治監督率いる日本代表の打撃コーチを務め世界一の手助けをした。