日本ハム・新庄新監督が引退会見で明かしていた「ショックな出来事」とは?
日本ハム・新庄新監督が現役を引退した2006年、日本シリーズ後に札幌ドームのグラウンド上で引退会見が行われた。その中で「野球人生で一番思い出に残っていることは?」と問われ「阪神時代、成績が悪いのにファン投票で選ばれたオールスターで、ペットボトルが投げられ、トランペットとか鳴らなかった。ショックな気持ちは今でも忘れない」と語っていた新庄新監督。引退会見での発言は以下の通り。
【2006年10月27日】
-現在の心境は?
「アメリカでの野球を終え、北海道を何とか盛り上げたかった。種をまいて、毎日一生懸命水を与え、3年目で花を咲かせられた。花の色はとても美しくてたくましい金色。うれしく思っている」(阪神時代の恩師で現楽天の野村監督が好んで使う言葉を引用)
-満員の札幌ドームでプレーして。
「3年前に(入団)会見をここでさせてもらったときに、4万3000人絶対に入れると毎日考えていた。初めは自分のパフォーマンスを見に来るファンを集めて、こういう若手もいるんだということを知ってほしかった」
-次の進路は?
「ただユニホームを脱いだだけで新庄剛志は新庄剛志。みんなをアッと驚かせるようなことをやっていきたい。体力には限界があるが頭に限界はないので、頭のトレーニングをして新庄剛志を伸ばしていきたい」
-以前はムービースターや政治家になるという話もあったが?
「あれはメジャー時代の話でしょ?マイクが付いてるのを知ってて、こっち(日本)で流されるなと思って冗談で言った。でも、チャンスがあればいろんな経験をしていきたい」
-使い続けたグラブがそばにあるが。
「タイガース1年目の初めての給料で、7500円で買った。17年間いっしょに過ごしてきたこいつが『もうプレーできない。限界』と言っていました」
-体も限界だったが、グラブも?
「グラブは4回手術したんですよ。もう手術の痕(あと)から中が出てきて、ウッズのライナーが来ていたら破れていた。それくらい限界だった」
-野球人生で1番思い出に残っていることは?
「阪神時代、成績が悪いのにファン投票で選ばれたオールスターで、ペットボトルが投げられ、トランペットとか鳴らなかった。ショックな気持ちは今でも忘れない」
-来年の今ごろは何をしているか?
「僕も分かんない。でも探すのが楽しみだし、自分に何の才能があるか探していく」
-日本シリーズ最終戦の八回に見せた涙は?
「稲葉君が本塁打を打って勝利を確信した。もうこの土は踏めないなと感じたら…。捕手の谷繁さんが『泣くな!真っすぐでいくぞ』と言っていて1球見逃したあとに、ジーンときてしまった」
-アジアシリーズには出場する?
「日本シリーズを最後だと決めていたし、もう休ませてよ!若い選手が戦って頂点に立ってくれるはずです」
-札幌でプレーした跡を残したいか?
「何か写真を撮れるものを作ってもらえればいいと思う」
-札幌ドームで次は何がしたい?
「ここでコンサートをやりたい!そしたらみんな見に来てくれるでしょう。大好きな歌?その質問は却下ですね(笑)」
-これからの肩書は?何と呼べば?
「僕の動きで決めてください!」