無駄口たたくな!中日・立浪監督のチーム方針で思い出す星野野球 北別府氏の回想
中日・立浪和義監督(52)のチーム方針である“練習中の無駄口禁止”が、星野仙一イズムを想起させる厳格ぶりだと話題を呼んだ。デイリースポーツウェブ評論家の北別府学氏も「思わず現役時代を思い出した」と懐かしがる。
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星野さんが最初に中日の監督をした年だから1987年。今でも思い出しますよ。“相手チームの選手と話をするな”と言うんだからね。一塁や二塁のベース上で、ちょっとした挨拶をするだけでも怒られる。
練習前や後のグラウンドからそうだった。だから中日の選手はみんなピリピリしていたね。
(星野氏が監督に就任する前は2年連続Bクラス。低迷打破の切り札として登場しただけに、その厳しさはハンパではなかった)
試合中にブルーのベンチを蹴り倒すし、こちらのピンチに対して“大丈夫か”とヤジは飛ばされるし、マウンドから“余計なお世話じゃ”と言い返してましたよ(笑い)。しかし、敵の私にも愛のあるヤジでした。
(87年の監督就任1年目は2位。翌88年はルーキーの立浪を抜擢してリーグ優勝を成し遂げた)
ところが、グラウンドを離れると、見間違えるほど温和な感じだった。
星野さんが山本浩二さんと親友だったこともあり、私も何度か会食に同席させてもらったけど、何かと気遣いをいただいて、同じ投手としても人間としても、器の大きさは真似の出来ない存在でしたね。
球場では、「お前なっ!」と言って吠えるように気合いを入れたりしてね。敢えて“闘将星野”を演じていたのかなと思ったものですよ。
余分な会話をしないという意味では、私にも通じるものがあり、理解できますね。私も現役時代は他球団の選手との接触は極力避けていましたから。親しくなると、厳しい球を投げられなくなるでしょ。
ロッカールームでも余計な会話は控えた。ペラペラしゃべると気が抜けてしまう。一度でも気が抜けると、シーズンが終わってしまうような恐怖感があったからね。そんなスタイルをずっと通していたんですよ。
(中日はキャンプ初日の2月1日。練習開始に合わせて立浪監督がナインを前に訓示。その中で練習中の無駄口禁止令が出された)
立浪監督とは現役時代、何度も対戦したことがあったけど、表情はいつ見ても“真剣”だったね。星野さんの申し子と言ってもいいような人でしょう。
その立浪監督のチーム作りとゲーム采配。ファン待望の人を監督に迎えた中日がどう変わっていくか。期待をこめてじっくりと見ていきたいね。