泣き虫で負けず嫌い 新庄ビッグボス本領発揮これから
「日本ハム6-2西武」(31日、札幌ドーム)
日本ハムが快勝し、今季初勝利を挙げた。開幕からの連敗を5連敗で止め、監督の新庄剛志ビッグボス(50)にとっても待望の初勝利。監督として大きな一歩を記したビッグボスの「泣き虫で、負けず嫌い」だった少年時代を担当記者が明かした。
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夜空に浮かぶ大輪の花を見つめて、新庄ビッグボスは目を潤ませた。キャンプ前日、1月31日。自ら主催した花火大会。「感動しかないです。監督として戻って来られたんだと思ったら、胸が熱くなって涙腺がやばくなりました」。涙もろい一面を見せたことが印象に残っている。
泣き虫で、負けず嫌い-。そんな少年だった。
新庄が在籍した福岡市の「長丘ファイターズ」で当時から監督を務める植木和生さん(76)。今は亡き新庄の父・英敏さんとソフトボールのチームメートで、親交も深かった。現在の新庄を「変わっていない。六年生がそのまま大人になった」と笑う。
父に連れられた練習で登板する姿が焼き付いている。「ウインドミルで投げたらすごかった。大人が誰も打てなかった。足も速く肩も強かった」。天性の才能は当時から発揮されていた。
新庄が小3から入ったソフトボールチームでは、植木さんが監督、英敏さんも指導者だった。父に命じられて1日4試合、5試合と登板させられた。
「厳しいお父さんだった。肩が痛い、肘が痛いと言ったら、ベンチを蹴っ飛ばして怒る。痛くて辛いと泣いていても、『折れてもいいから投げろ』と。それでもお父さんっ子だった」。
“思い込んだら試練の道を…”。試合に勝つ、父に勝つ。負けず嫌いは、泣きながら投げ続けたという。
そんな新庄少年が転機を迎えたのは小六のとき。「ソフトボールの大会で、誤審でサヨナラ負けをした。泣きながら抗議して。1人、ずーっと泣いていた」と植木さん。声をかけた。「悔しいなら野球をやったらどうだ?。あすまでに9人揃えてこい」。翌日、9人を集めて結成したチームが「長丘ファイターズ」。悔しさの先に、野球選手としての原点があった。流した涙の分だけ、強くなった。
キャンプ前日に流した涙。開幕5連敗という屈辱。そして、この日、初勝利。「ストーリーはこれからですよ。シナリオとしては最高じゃないですか」。“試練”は乗り越えるためのもの。負けず嫌いの本領発揮はこれからだ。(日本ハム担当・鈴木創太)