日本ハム・杉谷拳士が引退表明「引退会見という言葉は使いたくない」大号泣の「前進会見」

 日本ハムの杉谷拳士内野手(31)が28日、北海道・札幌市内で会見し現役引退を発表した。シュアな打撃とムードメーカーとしての個性的なキャラクターで人気を博した生え抜き野手最年長が大きな決断をした。

 涙、涙の会見だった。杉谷は「テストから入ってきょうまで14年間ファイターズでお世話になりました。引退会見という言葉は使いたくありません。前進会見という形で、会見したいと思います」とあいさつ。「プロ野球選手・杉谷拳士は終わりですけど、今後に向けて人生まだまだ出発したばかりですし。どんどん前進して、全国の野球ファンの人に恩返しできるように、そういう意味で前進という言葉を選ばせていただきました」と語った。

 杉谷は昨季は出場54試合、打率・117、2本塁打、9打点と低迷。再起をかけた14年目の今季は、新庄監督の指令もあり、オフのバラエティー番組出演を自粛。“ゴリラ化”とテーマを掲げ肉体改造して臨んだが、出場51試合にとどまり、打率・165、本塁打0、3打点にとどまった。

 「シーズン終わってからたくさんの人に相談して、面談も重ねて、自分の将来、ファイターズの将来、体のこと、総合的な判断の上でこのような形になりました」と決断の経緯を説明。今後については「メディア関係に出ることも多くなるでしょうし、皆さんの前に顔を出す機会も多いと思いますけど、皆さまの前でまたしっかり報告できるように頑張っていきたいと思います」と語った。

 また会見の最後に栗山前監督(侍監督)が花束贈呈に登場すると、杉谷は号泣。「長い間ご苦労様でした。ここからなので頼みにしています。やり残したことはないですか」と声をかけられると「ないです。これから前進しようと思います」と明かした。

 杉谷は帝京高1年からレギュラーで春夏3度甲子園に出場。06年夏の智弁和歌山との激闘では投手として登板。死球を与えた1球だけで降板したこともあった。プロ入り後は10年にはイースタン最多(当時)の133安打を記録。15年には規定打席には届かなかったが打率・295の数字を残した。19年5月23日の楽天戦(札幌D)では左右両打席本塁打放ち、ヒーローインタビューでセギノールにちなんで「“スギノール”として頑張ります」と宣言し球場を沸かせた。

 一昨年までは年末恒例のテレビ朝日系「スポーツ王は俺だ!!」の人気コーナー「リアル野球BAN」に出演。帝京高野球部の先輩、とんねるずの石橋貴明との絡みで、一躍全国区の人気選手となった。

 その一方で真摯に練習に取り組む姿は後輩たちの刺激にもなった。キャンプ前の自主トレには松本剛、郡、野村、細川が参加するなど例年、多くの後輩たちが帯同してきた。新庄監督からもキャンプ前には「日本一明るく、そういうチームにしような」とメッセージを送られるなど期待をかけられていた。新球場元年の来季を前にして、ユニホームを脱ぐことを決断した。

 ◆杉谷拳士(すぎや・けんし)91年2月4日、東京都練馬区出身。父と叔父がプロボクサーという家庭で育つ。帝京高では1年からレギュラーとしてプレーし、春夏合計3度甲子園に出場。高校卒業後は入団テストを経て08年ドラフト6位で日本ハムに入団。左右両打ちで、内外野守れるユーティリティースイッチプレーヤーとして活躍した。プロ通算777試合出場、打率・212、16本塁打、104打点。身長173センチ、体重78キロ。右投げ。

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