DeNA・三嶋一輝 国指定の難病手術から復活目指す「バリバリやる第1号の選手に」
DeNA・三嶋一輝投手(32)が7日、神奈川県横須賀市内の球団施設「DOCK」で行われている秋季トレーニングに参加し、キャッチボールやダッシュなどで汗を流した。8月29日に「胸椎黄色靱帯(じんたい)骨化切除術」を受けて以降、初めて報道陣の取材に応じた。
「診断された時はあまりパッと受け入れることができなくて。難しいんですよね、一言で言うのが。黄色靱帯(じんたい)の脊髄圧迫というのは人それぞれ大きかったり小さかったり色んなパターンがあって、箇所もそうだし。それが原因であるかどうかを突き止めるまでも時間がかかりましたし、そうじゃないと信じている自分もいて投げていたんですけど、本当にどんどん悪くなっていく自分を見ていって。歩くのが結構つらかったんで。そういうことを考えた時にいい先生に出会ってすぐ手術しようと決めましたね」
約30分間、三嶋は真剣なまなざしで代表取材に応じた。始まりは1月中旬ぐらい、何かがおかしかった。「ただ歩くとしんどいし、脚も上げづらい。マッサージをしてもダメだし」と体の異変を感じていた。
それでも2月の春季キャンプに参加。投げ込みのクールを作るなど、精力的に汗を流し、報道陣には体の異変を一切感じさせなかった。オープン戦も6試合で2セーブを挙げ、無失点。山崎との守護神争いに「負けられない」と痛みや違和感で戦線離脱したくないという思いで、投げ込んでいた。
シーズンが開幕し、三嶋はセットアッパーとしてマウンドに立ち続けた。人生で肩、肘を痛めたことがなかったが、4月下旬に「肩の前がドンッとぶつかって」と右肩に痛みを感じた。我慢しながら、トレーナーに治療してもらっていたが、左脚に力が入らず、疲労感がとれなくなっていった。
そして5月7日の広島戦(マツダ)で西川にサヨナラホームランを浴びた直後、決断した。右腕は三浦監督に「病院に行かせて下さい。すいません」。翌日8日に「右肩の張り」で登録抹消となった。
その後、さまざまな医師から話を聞き、最終的には自分が感じている症状と全く一致した医師から「本当に脚がストップするし、神経が死んじゃったらその神経が戻って来ないから圧迫段階で手術をした方がいい」という話だった。それまで保存治療を行ってきたが、8月に三嶋は手術を受ける決断をした。
国の指定難病「黄色靱帯(じんたい)骨化症」はプロ野球選手でも過去に元ロッテの大隣、元巨人・越智などが発症。三嶋自身も自ら元ロッテの南や元楽天の井坂に話を聞いた。もちろん自らも勉強した。報道陣に「ちょっと2時間ぐらいしゃべりますけどいいですか」と、細かく話をした。
焦る必要はなかった。シーズン中、しのぎを削ってきた山崎やエスコバーの頑張り。そして伊勢や入江といった急成長した若手の躍動を見て「すごいみんな頑張ってくれていた。今の僕の力じゃ(1軍に)行っても正直、使い物にならないと思うし、今の力じゃ通用しないっていうのが分かっていた」と手術をする決断に至った要因を語った。
手術をしたからといって、完全復活できる保証はない。ただ、三嶋は前しか向いていない。「『あいつ復活したの』って言われるのかなとか考えたらね、術前よりいい成績を残したらいいのかなとか、そういうことしか考えていない。そうじゃないとつまらないじゃないですか」と笑顔を見せた。
三嶋が復活することによって、同じ病気で苦しむ人たちの希望にもなる。現在は何の違和感もなく、キャッチボールやダッシュを行っている。本当はもっとできるが、抑えてやっている部分もある。
手術には約5時間半を要し、主治医が細かく丁寧に行った。三嶋が話すには「世界で初めてする術式で、先生が本当にうまくやってくれて、僕もその手術を大成功にもっていきたい」。続けて「野球選手でこういう診断をされて、バリバリやっている人はいらっしゃらない。そういう第1号の選手になりたいし、だから今は焦る必要もないし、自分が思っている以上にゆっくりやっていきたいなと思っている」と先を見据えての、現状を説明した。
三浦監督からも「これを克服して1軍でバリバリ活躍した人がいないんだったら、それの一人目になれよ」と言葉をもらった。
毎年1月には厚木での自主トレが恒例となっているが、参加することも示唆。後輩たちには「いい意味でしつこい。あの人、すごい調子いいらしいよとか、そういう先輩に」。自らポジションを「手放した」と表現し「僕は(ポジションを)とりにいきます!」と宣言した三嶋。決して簡単な道ではないかもしれない。それでも三嶋は前だけを見て、復活ロードを歩んで行く。