98年夏の甲子園 異様な空気に包まれた「松坂コール」横浜元監督・渡辺氏が語る投手起用とは

 今夏の甲子園で優勝を果たした仙台育英は、複数投手の運用が話題になった。かつて、松坂大輔を擁して春夏連覇を達成した横浜高校元監督の渡辺元智氏(78)が、当時を振り返りつつ、時代の流れと共に変わる投手起用についての思いを語った。

  ◇  ◇

 時代とともに野球は変わってきています。2020年から球数制限が導入されましたが、その前から日本高野連は障害予防の観点から複数投手制を勧めていました。時代背景が異なりますが、松坂大輔の時代は他校も含めて1人の投手が全ての試合を投げることが多かったと思います。

 横浜高校が初の春夏連覇を達成した98年の夏は1回戦から松坂が1人で投げ続け準々決勝でPL学園と対戦しました。松坂は延長17回250球で完投。最後は極限状態で勝利した。私は翌日の準決勝で松坂を投げさせたら彼の将来はないと判断し、試合後のインタビューで登板回避を明言しました。松坂自身も「明日は投げられません」と話していました。本心を言えば春夏連覇を目指していたので投げさせたかった。でも彼の体調を考えると限界で無理でした。その時に初めて2人のエースがいなければ勝てないと痛感しました。

 準決勝・明徳義塾戦では明言通り松坂を先発させなかった。試合は八回表を終えて6点ビハインド。完全に負けゲームだったので、最後に最高のメンバーで甲子園を去ろうと思い八回から松坂をブルペンで準備させました。すると球場が突然異様な空気に包まれ「松坂コール」の大合唱が起き、気がつくと八回裏に2点差まで追いついた。九回に松坂を登板させると、球場のボルテージは最高潮に到達。その裏に味方打線の執念の粘りで7-6と奇跡の大逆転につながりました。

 決勝の京都成章戦で松坂は59年ぶりのノーヒットノーランを達成。目標だった春夏連覇を果たすことができました。私が準決勝で松坂を投げさせないと決断した影響でしょうか。以前から障害予防に取り組んでいた日本高野連は、00年選抜大会から延長15回制、18年選抜大会からタイブレーク、そして3年前に球数制限の導入が決まりました。

 今夏の甲子園では仙台育英が日本高野連が推奨する複数投手制で優勝しました。大阪桐蔭は以前から実力のある投手を3、4人用意して大阪桐蔭時代を築き上げた。昨夏優勝した智弁和歌山も2人の投手を擁していました。今後は投手陣を中心とした育成方法が浸透していくと思います。

 勝つためにはどう複数投手を育て、起用していくかがポイントになると思います。今までは投手に専念する選手が多かったですが、野手と投手の二刀流も増えてきています。事情があって強いチームでもいい投手がたくさんいるとは限りません。公立校のような部員が少ないチームは特に投手と野手の二刀流をさせないと試合が成り立たないので試行錯誤しているはずです。今夏の甲子園で下関国際の仲井慎選手がショートと投手の二刀流で全国の野球ファンに強烈なインパクトを与えました。私も仲井投手の一球入魂の魂の投球を球場で見て感動し、涙しました。来年もそうした素晴らしいプレーが生まれることを楽しみにしています。

 ◆渡辺元智(わたなべ・もとのり)1944年11月3日生まれ、78歳。神奈川県松田町出身。横浜では外野手で甲子園出場はなし。65年から母校のコーチを務め、68年に監督就任。73年のセンバツ優勝を皮切りに98年の春夏連覇など甲子園優勝5度。70年代から2000年代まで、4つの年代で甲子園を制した唯一の監督。15年夏に勇退。甲子園通算51勝は歴代5位タイを誇る。

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