引退の平田良介 甲子園1試合3発から始まったスラッガー伝説
中日・平田良介外野手(34)が2022年限りで現役生活に終止符を打った。今後は学生野球資格が回復できれば、後進の指導に携わる意向という。
プロ17年間でタイトル獲得はならなかったが通算1227試合で105本塁打、打率・268。ベストナイン、ゴールデングラブ賞ともに1回受賞、17年WBC代表など、勝負強さでファンを沸かせた。
平田の野球人生を語る上で欠かせないのは、大阪桐蔭時代の05年、史上3位タイに名を刻む夏の甲子園1大会4本塁打だろう。低学年からドラフト候補と期待されていたが、大きなインパクトを残したのはこの夏だった。中でも準々決勝・東北戦で放った1試合3本塁打は、PL学園・清原和博(85年)に並ぶ最多タイ。1打席目は二回に左翼席への先制ソロ、2打席目の四回は左中間へのソロ。七回には中堅右へ130メートルの逆転2ランを放った。
2打席連発の後、平田が打席に入るごとに甲子園の歓声は大きく、深くなっていった。スタンドインはならなかったが、五回の3打席目はあと30センチほどでスタンドインしそうな右翼フェンス直撃の適時二塁打。力強く振り切ったバットからは、空に吸い込まれるような打球が飛んでいった。
そして4打席目。1点を追う展開で回ってきた一死三塁のチャンスも、平田は普段通り、バットを肩に担ぎ上げてから体の力を抜いて構える。外角寄りの球を強くたたくと、観衆のどよめきが一瞬静けさに変わった。「まさか」。誰もがそう思いながら目で追った打球は、バックスクリーン右の中段へ突き刺さっていた。
くしくも清原の38歳の誕生日だった8月18日、平田は怪物の記録に並んだ。その後、どのホームラン打者も2人の記録を破れていない。
同年にドラフト1位で中日入団後、キャリアを重ねて18年に自身最多の138試合に出場。16年に国内FA権を取得したが残留し、中日一筋で愛された。21年途中に異型狭心症を患い、満足なプレーができない事態にも直面したが、一振りで観客を沸かせた野球人生はファンの記憶に残り続けるだろう。(デイリースポーツ)