門田博光さん死去 近年は透析治療週3回の闘病生活 糖尿病、小脳梗塞を患う 74歳

 プロ野球の始球式を終え、野村克也氏(左)の手を取り、引き揚げる門田博光氏(2013年8月)
野球殿堂入りした門田博光氏(2006年1月)
 現役最後の試合を終えプレートを手にする門田博光さん(1992年10月撮影)
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 南海、オリックス、ダイエーで活躍し、NPB歴代3位となる通算567本塁打を放った門田博光氏さんが死去した。74歳だった。兵庫県相生署によると、24日午前中に門田さんの自宅を訪れた警察官が倒れている門田さんを発見。その場で死亡が確認された。

 門田さんは天理高、クラレ岡山を経て、1969年度ドラフト2位で南海に入団。79年に右アキレス腱断裂の大けがを負ったが、懸命なリハビリで見事に復活。88年には40歳で本塁打、打点の2冠に輝き、「中年の星」「不惑の大砲」と呼ばれた。89年にオリックス移籍。91年にダイエーに復帰し、92年限りで現役を引退した。

 現役通算2571試合出場で通算2566安打、打率・289。567本塁打、1678打点はともにNPB歴代3位。本塁打王を3回(81、83、88年)、打点王を2回(71、88年)獲得した。

 引退後は病と闘う日々を過ごした。

 ある日、うまく足が踏み出せなくなる異変を感じ、病院へ行くと血糖値が500近い数値を示して即入院。現役時代は節制していたが、引退後に酒を飲み過ぎたことが原因だったという。

 2003年には小脳梗塞で入院。それ以降は右耳が聞こえづらくなり、05年には小脳梗塞が再発した。06年に野球殿堂入りした際の会見では「お酒を飲んでないのにフラフラして平衡感覚がない」と語り、関係者に支えられて途中退席する場面もあった。

 16年から透析治療を開始。近年は兵庫県相生市近郊に住み、週3回の透析治療を受けていたという。

 闘病生活が続く中、19年には野球殿堂入りしたプロ経験者が対象の学生野球資格回復の特例研修に参加。高校、大学の指導資格を回復していた。

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