アーチスト門田博光 病苦との壮絶な闘いに終止符 電話口から「しんどいねん」 念願だった3色の富士山は
プロ野球の南海、オリックス、ダイエーに在籍し、歴代3位となる通算567本塁打を記録した門田博光さんが亡くなった。74歳だった。鷹番記者だった当時の記憶と引退後の“壮絶な闘い”を振り返り、この場を借りて追悼したい。
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悲報が届いた。驚いてすぐさま自宅に電話を入れてみた。つながるはずがない。また入れたが、留守電の声が繰り返されるだけだった。
昨年のちょうど今ごろ。久しぶりに取材がしたくなったので思い切って電話したら、その時は「勘弁してくれ」と言って断られた。
「いま人工透析から帰ってきたとこや。しんどいねん」
電話口から伝わる苦しそうな様子に、近況も何も聞けずにあっさり引き下がった。昔のようにしつこく食い下がっていれば…しかし、それをやるほど若くもない。
「分かりました。お体に気をつけて」
それが門田博光と交わした最後の言葉になった。
門田さんにはあらためて聞いてみたい話があった。あの“3色富士”は描いたのかと。
南海ホークスの選手時代、車で東京へ向かう道中。突然、グレーのバックに赤、黄、紫の3色の光が富士山を差したという。
「その一瞬を僕はみたんや。(葛飾)北斎でも描いたことのない3色の富士山や!」
そう自慢げに話していたのを思い出したからだった。
陶芸や絵画に興味をもっていたから呉(広島)のキャンプにも絵の具と筆を持ち込んでいた。人は変わり者と呼んでいたし、自分でもそう言っていた。
2009年の冬に取材したときは、体が不自由そうだった。
現役引退後、「健康管理がむちゃくちゃ」になり、毎日ビールを30本飲んで糖尿病になったと、少し後悔しながら話していた。「脳の後ろに石がくっついている感じ」という小脳梗塞の話も。
糖尿病については、「足の裏がゼリー状で歩くとグニュッとなる。靴を履いていても感覚はなく、ひざから下は分からない。神経障害になっててケガをしてもその認識がない」というリアル過ぎる内容だった。
「タンパク質ダメ。果物ダメ。野菜もダメ。何を食べてもダメ。水も取り過ぎると足が鬱血する。風呂で汗を出したら血がドロドロになって血管が詰まる。ほんま、ストレスの中を生きてるよ」
難聴に悩んだ過去も告白し、引退後次々と襲ってくる苦しみは想像を超えるものだった。
取材の終わり、10年後の自分を想像してほしいというこちらの問いかけに、笑いながら「地球の土」と返してきた。「(そろそろ)棺桶が待っていると考えるようになった」と。
さらにそこから14年。長い闘病の末に聞いた「しんどいねん」のひと言に、いい知れない苦痛と苦悩を感じた。
アキレス腱の断裂からはい上がり、不惑の大砲としてホームランを打ち続けた。小さい体をめいっぱいにねじり、大きなスイングで遠くへ飛ばすことを追い求めた超一流のアーチスト。
青少年を相手にした打撃指導で「本塁打の極意」を真剣に教えて光景が印象深い。だが、NPBでその姿を見ることはなかった。
それらすべてをひっくるめて門田さん。門田博光は、とにかく凄い人だった。(デイリースポーツ・宮田匡二)