「甲子園は清原のために!」植草貞夫元アナ 慶応・次男勝児に興味「もう一度実況してみたい」
第95回選抜高校野球大会(3月18日開幕・甲子園)の出場36校を決める選考委員会が27日、大阪市内で行われる。記念大会のため出場校は例年より4校多い。慶応(神奈川)は秋季関東大会で4強入りし、5年ぶり10度目の出場が確実。西武、巨人などで活躍した清原和博氏(55)の次男・勝児内野手(1年)が注目される中、清原氏の3年夏の決勝戦で甲子園実況を担当し、そこでの“名文句”が有名となった元朝日放送アナウンサー・植草貞夫氏(90)がデイリースポーツの取材に応じ、思いを語った。
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甲子園に「清原」の名がコールされ、スタンドにどよめきが響く。現在はアナウンサー業を引退している植草氏も、センバツを心待ちにする一人だ。「高齢で球場に行けませんが、テレビで観戦します」と心を躍らせる。
PL学園が全国制覇した1985年夏、決勝・宇部商戦を実況したのが植草氏だった。六回に4番・清原がこの試合2本目、当時の大会記録である通算5本目の本塁打を放った場面で「甲子園は清原のためにあるのか!」と絶叫。その名文句は、夏空を切り裂く打球とともにファンの心に響いた。
38年の時を経て、父の姿に導かれるように甲子園を目指してきた勝児内野手も「活躍して(『清原のために-』と)言われてみたい」と意欲をみせている。植草氏は「できることなら私ももう一度実況してみたい。勝児選手がホームランを打ったら、自分はどんな実況をするのかな?と興味が湧きます。テレビを見ながらしゃべってるんじゃないかな」と想像を巡らせる。
10年ほど前に同局の特番で清原氏と対談した際、同氏が子供たちの成長をうれしそうに自慢する姿が印象に残っているという。「彼も人生で紆余(うよ)曲折はあったが、自分が極めた野球の道に子供たちも進んでくれた。うれしいでしょうね。甲子園へ見に来るのかな」と思いやった。さらに「いつか指導者として甲子園に帰ってきてほしいですね」と、指導者としての姿にも期待を寄せた。
◇植草 貞夫(うえくさ・さだお)1932年9月29日生まれ、90歳。東京都出身。早大政治経済学部卒業後、55年に朝日放送入社。アナウンス部で主にスポーツ実況を行う。60年から88年まで高校野球選手権大会決勝戦を実況。85年の阪神のリーグ優勝時の実況などプロ野球や東京五輪、72年ミュンヘン五輪も担当。
◆85年夏・清原の本塁打 決勝の相手・宇部商(山口)の主軸、藤井進は準決勝まで4本塁打。清原は準決勝まで3本だったが、決勝で2打席連続本塁打を放ち、藤井を抜いて1大会5本の新記録(当時)を打ち立てた。5本目は2-3の六回。打球は中堅・藤井の頭上を越え、スタンド中段への同点弾。植草氏は「甲子園は清原のためにあるのか!」と実況した。試合は4-3のサヨナラ勝ちでPL学園が優勝。