名伯楽・中西太氏の訃報 球界に残した大きな足跡 教え子ら悼む オリックス・田口コーチ「『何苦楚』精神、僕の中に」
強打の内野手として西鉄黄金時代を牽引し、阪神監督など指導者を歴任した中西太氏が死去したことが18日、分かった。90歳だった。訃報を受け、指導者時代の教え子らが悼んだ。
オリックスの田口壮外野守備走塁コーチは試合前に取材に応じた。中西氏は95年から97年にオリックスブルーウェーブでヘッドコーチを務めた。95、96年はリーグ優勝。96年には日本一になっている。
田口コーチは訃報を受け、「ちょっとビックリしましたね」とさみしそうな表情を浮かべた。毎年1月には電話で連絡を取っていたという。コーチと選手として、3年間接し「とにかく選手にいつも寄り添ってくれて、常に元気を与えてくださる方でしたね」と振り返った。
田口コーチも16年からオリックスでコーチを務め、中西氏の教えが生きている。「『何苦楚』精神というのは僕の中にある。それはやっぱり選手には受け継いでいきたい。太さんに恥ずかしくないように、頑張らないといけない」と誓った。
また、近鉄時代に指導を受けたロッテ・吉井理人監督もコメントを発表。「近鉄時代、自分が若かったころ、色々なヤンチャなことをしても、中西さんが、かばってくれたことを思い出します。笑いながら『頑張れよ、頑張れよ』と声をかけてくれました。色々な思い出がありますが今、一番最初に思い出されたのは川崎球場の食堂でラーメンを2口、すすっただけで食べてしまったことです。あれは驚きました。本当に豪快な方で優しい方でした。心からご冥福をお祈りします」と、思いをつづった。
ヤクルト時代に指導を受けた日本代表「侍ジャパン」の栗山英樹監督はコメントを発表し、「謹んでご冥福をお祈りします。中西さんはヤクルトでの現役時代のコーチで三原修さんも含めて、私の野球人としてのすべてのベースを作っていただきました。すごく愛情深いコーチングは鮮明に記憶に残っています。ティー打撃の練習でボールを上げてくれたのですが、どんどんこちらに近づいてきてバットが当たってしまいそうな距離にまで迫ってくる。そこまで熱意を持って伝説の一流打者が接してくれたことに、感動したことは忘れません。そして誰にも分け隔てなく接してくれました。私が指導者になる上でも、その姿に大きく影響を受けました。この世界一も、すべて中西さんのおかげです。本当に感謝しています」と、感謝をしたためた。
中西氏は香川県出身で高松一高時代に「怪童」と呼ばれ、52年西鉄に入団。首位打者2度、本塁打王5度、打点王3度。52年新人王、56年MVP、ベストナイン7度、18年間で通算244本塁打、785打点、打率・307をマーク。99年に野球殿堂入りを果たした。
また指導者としても62年に西鉄監督、74年に日本ハム監督、80年に阪神監督。ヤクルト、近鉄、オリックス、ロッテでコーチを務め数多くの打者を育てた。阪神ではドン・ブレイザー監督の辞任に伴い監督へ昇格。ルーキーだった岡田彰布(現阪神監督)をレギュラーで起用し、新人王を獲得する活躍を引き出した。