長嶋茂雄氏が中西太氏の逝去にコメント「印象深い対戦をしたよきライバル」
プロ野球・西鉄(現西武)の強打の内野手として黄金期を支え、打撃指導でも定評があった中西太(なかにし・ふとし)さんが11日午前3時38分、東京都内の自宅で心不全のため死去したことが18日、分かった。90歳。高松市出身。告別式は家族で行われた。
巨人の長嶋茂雄終身名誉監督(87)が18日、中西太さん逝去に際し、球団を通じてコメントを発表した。「突然の訃報に接し、大変ショックを受けております。心よりご冥福をお祈りいたします」と思いを語った。
2人は右の強打の内野手という共通点を持ちながら、昭和の野球界をけん引してきた。当時はセパ交流戦のなかった時代。日本シリーズの舞台で激闘を繰り広げてきた。
長嶋氏が入団1年目だった1958年の同シリーズでは巨人と西鉄、両軍の4番として激突。巨人が3連勝して王手をかけたが、西鉄が中西さんの復調とともに勢いに乗って4連勝し、初の日本一に輝いた。1963年は選手兼監督だった中西さん率いる西鉄を巨人が4勝3敗で破り、リベンジを達成。長嶋氏は同シリーズのMVPに輝いた。
長嶋氏は「現役時代は西鉄ライオンズとの日本シリーズで、中西太さんと印象深い対戦をしたよきライバルであり、今でもあの豪快なバッティングスタイルが目に焼き付いています」と当時を述懐。3歳年上の中西氏について「いつも私のことを気にかけてくださる心優しい先輩で、私は『ふとしさん』と呼ばせていただいた親しい関係でした」と思い返した。