元中日、フォークボールの神様・杉下茂氏が死去 97歳 通算215勝の大投手
日本で初めて本格的にフォークボールを操り「フォークボールの神様」と呼ばれた中日などで投手として活躍した杉下茂氏が6月12日、間質性肺炎のため死去していたことを中日球団が16日、発表した。97歳だった。通夜、葬儀は家族葬で執り行ったという。
遺族によると、亡くなる当日午前まで普段通りの生活を送っていたが、午後になって体調に異常を訴え、東京都内の病院へ搬送され、午後10時18分に息を引き取ったという。
1925年と大正生まれの杉下氏は、1949年に明治大学から中日に入団。1年目は右肩を痛めて8勝止まりだったものの、翌50年には27勝をマーク。快速球とフォークボールを武器にこの年以来、6年連続で20勝以上を挙げた。
特に54年には自己最多の32勝、防御率1・39などの好成績を収めて投手タイトルを総なめ。中日を初優勝へ導き、MVP、さらには史上初の3度目となる沢村賞も獲得した。
プロ入りから8年目の57年には早くも通算200勝をクリア。59年には選手兼任監督に就任したが、監督業に専念するため、登板はなかった。就任1年目は2位に入ったものの、翌年は5位と低迷し、この年限りで退団した。
61年には投手コーチとして大毎に入団したが、現役復帰。4勝に終わり、この年で現役を引退した。64年から阪神のヘッド兼投手コーチに就任し、66年には監督に昇格したが、シーズン途中で休養、退団となった。68年には古巣の中日で再び監督を務めたがシーズン途中で解任された。
その後は巨人でも投手コーチを務め、西武で93年からの2年間投手コーチを務めたのを最後にユニホームを脱いだ。
野球解説者として活動する傍ら、古巣・中日の春季キャンプにも参加。2019年には臨時投手コーチを務め、ひ孫のような選手を指導していた。