江夏豊氏が激白「江夏の21球」のその後 冷戦状態の翌年開幕戦で早退宣言→古葉監督が直接謝罪 江川氏に明かす

 江夏豊氏
 ブルペンでにこやかに話する江夏豊臨時コーチと衣笠祥雄さん=2015年2月
 1979年11月、近鉄を破り初の日本一に輝き、喜ぶ広島・衣笠選手(左端)。右奥は江夏投手=大阪
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 巨人のエースとして活躍した江川卓氏が22日、自身のYouTubeチャンネル「江川卓のたかされ」を更新。阪神のエースとして君臨し、広島などではストッパーとして活躍した江夏豊氏がゲスト出演し、「江夏の21球」のその後を激白した。

 伝説の舞台となったのは広島と近鉄が激突した1979年の日本シリーズ第7戦。九回無死満塁のピンチを招きながらも、無失点に封じて胴上げ投手になった。スクイズをノーサインでウエストした技術などが伝えられる中、カープベンチの継投の動きに怒った江夏氏を衣笠氏が慰めに行ったシーンもプロ野球ファンの脳裏に刻まれた。

 江夏氏はそのシーンについて「あの時、なぜ僕は試合中にあそこまで怒ったか」と切り出し、「江夏という人間に対して配慮がほしかった。大阪球場には室内がある。ブルペンでやられてどれだけ気分が悪いか。サチ(衣笠氏)も『ブルペン見るな。前を向いて投げぇ』と言ってくれた」と明かした江夏氏。歓喜の瞬間を迎えたが「あの日から一切、古葉さんとはしゃべらなかった」とその後のエピソードを明かした。

 「なんで怒っているか分からなかったと思う」と“冷戦状態”は続き、翌80年の開幕戦で「練習後に監督室に行って『俺はきょう、帰らせてもらいます』と行って。古葉さんがどうしたんや?って言うから、ベンチで動かすんだったら室内があるから、そういう配慮が欲しかったとハッキリ伝えた」と明かした江夏氏。「古葉さんは『うーん』って言って考えとったよ。来賓の人と会う用事も俺が全部止めた。最後は悪かったと頭を下げてくれた。俺も納得して分かりましたと。この話は終わりにしましょうと伝えた」と語った。

 また動画内では自身の経験談を惜しみなく明かし「10対9でも勝たないと。0対1でも負けは負け。それがプロとアマチュアの違い。プロは勝つべき」と持論も展開していた。

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