スーパー1年生桑田真澄&清原和博と上級生との板挟みが一番つらかった~PL学園元主将清水孝悦さん語る

PL学園・清原和博と桑田真澄=甲子園球場、1985年8月
 「ふじ清」店主の清水孝悦さん
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 PL学園野球部主将として1984年、甲子園大会で春夏連続準優勝を経験。現在、大阪府藤井寺市で、すし店「ふじ清」を経営する清水孝悦(たかよし)さん(56)が現役時代を振り返り、同校OBの桑田真澄、清原和博両氏にまつわる思い出を語った。

  ◇  ◇

 清水さんは桑田、清原の1学年上。2年生の時に2人のスーパーヒーローが入学してきたが、この年が最も「キツくてやりづらかった」という。

 最終学年を迎えた3年生には出場機会を失い、メンバーから外れる先輩もいた。その悔しさや苛立ちの矛先は常に2年生に向けられた。

 「1年生には当たらないんです。これをどう解決すればいいのかと。しんどかったですね」

 早い時期から下級生責任者のような立場に置かれていた清水さんは、桑田と清原が入部してくると2人を同部屋に指名したという。上級生と下級生が2人ずつ。野球部寮での生活指導も清水さんの役割だった。

 「(周囲からは)“下級生をしっかり見てあげてくれ”と言われてました。プレッシャーを与えずに、どうやってあの子らの力を発揮させるか。そういうことを考えてました。自分の練習どころではなかったですね」

 監督、コーチはグラウンドまで。寮に管理責任者はいるが、自立した生活が求められた。練習や授業よりも長い時間を過ごす寮での共同生活は責任も重く苦痛だった。

 「でもあの2人は真面目でしたし、気持ちが強かった」から、必要以上に心配することはなかったという。

 ただ、一度だけ“KK”コンビで失敗をやらかしたことがある。ある朝、6時半の起床時間に目が醒めず、一日の始まりに行う“朝詣り”に間に合わなかった。清水さんが戻ってくると、2人は着替えをすませ、部屋で正座して待っていたという。

 「ホンマだったら、たたき起こすとこですけどね(笑い)。寝坊ですよ」

 清水さんは後に巨人で173勝を記録した桑田の印象を次のように語る。

 「最初のころは遊び(くだけた側面)も好きやったですが、だんだん堅物になっていった。甘えられないという意識が強くなったんだと思います」

 また「エンゼルスの大谷みたいに野球に関してマイナスになることは一切しなかった」とも。インスタントラーメンや炭酸飲料は当時から遠ざけていたようだ。

 では通算525本塁打を記録した大打者、清原は?

 「彼はあのまんまです。相手に気を使ってしゃべってるようでポロっと“地”が出る。タメ口ですよ。“お前だれに言うてんねん”と言われて“あっ、すみません”という感じ。面白い男、かわいいヤツでしたよ。ウソのつかん男。ついてもすぐバレるタイプでしたね」

 桑田、清原が彗星のごとく現れ全国制覇したのが1983年夏。清水さんが最上級生となり、捕手そして主将として臨んだ翌84年は春、夏とも甲子園大会は準優勝に終わった。頂点にこそ立てなかったが、チームとしてのまとまりはよく、成績も安定感していた。(デイリースポーツ・宮田匡二)

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