油断大敵?取手二との決勝戦前夜に優勝旗のバーチャル授与式~PL学園元主将清水孝悦さん語る

優勝を決め、抱き合って喜ぶPL学園・清原和博(左)と桑田真澄=甲子園球場、1985年8月21日
優勝を決め、抱き合って喜ぶPL学園・清原和博(中央左)と桑田真澄(同右)=甲子園球場、1985年8月21日
 「ふじ清」店主の清水さん
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 PL学園野球部主将として、1984年の甲子園大会で春夏連続準優勝を経験し、現在は大阪・藤井寺で、すし店「ふじ清」を経営する清水孝悦(たかよし)さん(56)が、それぞれの決勝戦にまつわるエピソードを語った。

  ◇  ◇

 1983年夏。桑田真澄、清原和博のスーパー1年生を軸にしたPL学園が全国制覇した。そこから“KKコンビ”で5期連続甲子園出場。最後となる85年の夏も優勝で締めくくった。すべてベスト4以上という成績は見事というほかない。

 86年春も出場しているから学校としては6期連続になるが、この時は初戦敗退。桑田、清原の力はやはり絶大だった。

 ちなみに戦前、中京商業が大エース吉田正男を中心に、夏3連覇を含む6期連続ベスト4以上という“快挙”を成し遂げている。

 学制改革以前(春は選抜中等学校野球大会、夏は全国中等学校優勝野球大会の呼称で開催)の成績と同列には語れないが、短期間でのチーム作りを考えると、偉業であることに変わりはない。

 清水さんが主将を務めた1984年、PLは春夏ともに準優勝だった。春の決勝は岩倉の山口重幸投手(元阪神など)を打てず、0-1の完封負け。夏の決勝は取手二に延長10回の末、4-8で敗れた。

 「(山口は)打てなかったですね。スライダーなのかチェンジアップなのか分からなかったですが、当時のうちは横へスーっと動く球に弱くて。いつでも打てそうな感じでズルズルいきましたね。桑田が14三振も取る凄いピッチングをしたのにウチは1安打でしたから。岩倉(東京)は初出場でしょ。関東勢独特の勢いを感じました」

 PLとは対照的に、勝ち上がるにつれ勢力を増していく強さが岩倉から伝わってきた。

 春同様、夏も決勝まで勝ち進んだころは、チーム全体の調子が下降線に入っていた。それでも取手二に対しては、「余裕で勝つ」と思っていたという。なぜなら5月に行われた茨城遠征の練習試合を13-0のスコアで大勝していたからだ。

 「(決勝戦の)前の晩、(宿舎で)優勝旗をもらう練習をしてましたから。“明日は優勝や”みたいに」

 さらに決勝当日の試合前。「これは中止になる」と思えるほどの大雨が降った。グラウンドは水浸し。ところが急に雨が上がると、あっという間に整備されて“試合開始”の指示が来た。

 捕手の清水さんは、すぐに桑田投手をともないブルペンへ向かったという。

 「僕らは後攻だったこともあって、慌てて20球足らずの投球練習でゲームに入ったんですが、初回に2点取られて、そこからすでにおかしくなってましたね」

 後手を踏んだ試合は終盤の粘りで追いつくのが精一杯。そして10回表、大量4点を失い力尽きた。

 40年近い昔の話を昨日のことのように話す清水さん。それは苦い記憶でもある。

 この敗戦から学ぶものがあるとすれば、それは“油断大敵”か。最強軍団と呼ばれ、各校から恐れられたPLナインも素顔は“普通の高校生”だった。(デイリースポーツ・宮田匡二)

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